appeal

ということは、星の王子さま、太陽も太陽の私として存在しているということですね。

ええ、太陽も、ほかの星々も、それぞれの私として存在しています。

それは勿論人間の私とは随分違った私ですよね。

ええ、随分違った私です。ここで確認しておきたいことは、私という存在は人間の都合で存在しているのではなく、私そのもの、つまり、”ぼく”、の都合で存在しているものです。

すると怒りも、”ぼく”、の都合で存在していると、・・・。

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ええ、怒りも、その、”ぼく”、の記憶の普遍の私の属性が人間の私に現れたものにすぎません。つまり地球の私の怒りとは、地球の私の精神そのものとしての怒りで、人間が怒るように怒るということではありません。

自然が破壊的な面を見せるとき、人間は自然の怒りを感じますが、それは人間の単なる感情移入などではないということですね。

ええ、それは逆で、人間の怒りは、本来普遍の私、自然の私が持っている属性としての怒りが人間にそれとして現れているものに過ぎません。

つまり、地球は本当に生きているんですね、

ええ、地球の私として生きています。

もしかして地球は自分が私として生きていることを誰かに知ってもらいたいんじゃないんですか?

ええ、地球の私は、それを認識できる他者にそれを知ってもらいたいといつも思っています。それは、人間の私がその能力のある他者にその存在を知ってもらいたいと思うのとまったく同じ普遍の私そのものの気持ちです。それに、それが認識できる他者の能力は、その地球の私の身体、環境を著しく害するほどであることを十分知っていますから、なおさら自分は生きているということを、感情も、そのものとして持っているということを、それが手遅れや後手後手にならないよう少しでも早くその他者に知ってもらいたいといつも思っています。

それは、太陽も、月も、ほかの星々も、同じなんですね。

ええ、どんなに広大で大きくとも、どんなに微細で小さくとも、どんなにそれがより無数であろうとも、すべては私の記憶として、その私もまた記憶として、そうなっています。

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すると、地球のしっぺ返しも、地球の穏やかな表情も、暖かな表情も、他者の私の気持ちとして真摯に受け止めなければいけないということですね。

ええ、その地球の私から借りた水や空気や土をきれいにして返してやりましょう。断じて放射能なんかで汚してはなりません。

(2011.04.20)
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