appeal

”先(さき)に談ずる所の天竺(てんじく)に、二十八祖有って、此の法門を口伝すと云う事、其の証拠、何に出でたるや、仏法を相伝する人、二十四人、或は二十三人と見えたり、然(しか)るを、二十八祖と立つる事、所出の翻訳(ほんやく)、何にかある、全く見えざるところなり、此の付法蔵の人の事、私に書くべきにあらず、如来の記文、分明なり、其の付法蔵伝に云く、「復(また)、比丘有り、名けて師子(しし)と曰(い)う、?賓(けいひん)国に於て、大に仏事を作(な)す、時に彼の国王をば、弥羅掘(みらくつ)と名け、邪見熾盛(じゃけんしじょう)にして、心に敬信無く、?賓(けいひん)国に於て、塔寺を毀壊(きえ)し、衆僧を殺害す、即(すなわ)ち、利剣を以(もっ)て用いて、師子を斬る、頚(くび)の中、血無く、唯(ただ)、乳のみ流出す、法を相付する人、是に於て便ち絶えん」、此の文の意は、仏、我が入涅槃(ねはん)の後に、我が法を相伝する人、二十四人あるべし、其の中に、最後、弘通の人に当るをば、師子比丘と云わん、?賓(けいひん)国と云う国にて、我が法を弘むべし、彼の国の王をば、檀弥羅(だんみら)王と云うべし、邪見放逸にして、仏法を信ぜず、衆僧を敬はず、堂塔を破り失ひ、剣をもって諸僧の頚(くび)を切るべし、即、師子比丘の頚(くび)をきらん時に、頚(くび)の中に血無く、只(ただ)、乳のみ出ずべし、是の時に、仏法を相伝せん人、絶ゆべし、と定められたり、案の如く、仏の御言(みことば)、違(たが)わず、師子尊者、頚(くび)をきられ給う事、実に以て爾(しか)なり、王のかいな、共につれて落ち畢(おわ)んぬ、二十八祖を立つる事、甚(はなはだ)以(もっ)て、僻見(びゃっけん)なり、禅の僻事(ひがごと)、是より興(おこ)るなるべし、今、慧能(えのう)が壇経に、二十八祖を立つる事は、達磨を高祖と定むる時、師子と達磨との年紀、遥(はる)かなる間、三人の禅師を私に作り入れて、天竺より来れる、付法蔵、系乱れずと云うて、人に重んぜさせん為の僻事(ひがごと)なり、此の事、異朝にして事旧(ことふ)りぬ、補註の十一に云く、「今家は二十三祖を承用す、豈(あに)、?(あやまり)、有らんや、若(も)し、二十八祖を立つるは、未だ所出の翻訳を見ざるなり、近来、更(さら)に石に刻み、版に鏤(ちりば)め、七仏二十八祖を図状し、各一偈(げ)を以(もっ)て、伝授相付すること有り、嗚呼(ああ)、仮託(かたく)、何ぞ其れ甚(はなは)だしきや、識者、力有らば、宜(よろ)しく斯の弊(へい)を革(あらた)むべし」、是も二十八祖を立て、石にきざみ、版にちりばめて伝うる事、甚(はなは)だ、以(もっ)て、誤(あやま)れり、此の事を知る人あらば、此の誤をあらためなをせとなり、祖師禅、甚(はなは)だ、僻事(ひがごと)なる事、是にあり、先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を、教外別伝の証拠に、汝、之を引く、既に自語相違せり、其の上、此の経は説相権教なり、又、開元、貞元の再度の目録にも、全く載せず、是、録外の経なる上、権教と見えたり、然(しか)れば、世間の学者、用ゐざるところなり、証拠とするにたらず。”

(2005.04.29)
next
back
index
home
other lita site