appeal

”夫(そ)れ、以(おもんみ)れば、法華経第四の法師品(ほっしぼん)に云(いわ)く、「若(も)し、悪人有って、不善の心を以(もっ)て、一劫(こう)の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪、尚(なお)、軽し。若(も)し、人、一つの悪言を以て、在家・出家、の、法華経を読誦する者を、毀?(きし)せん、其の罪、甚(はなは)だ重し」、等、云云。妙楽大師、云く、「然(しか)も、此の経の功、高く、理、絶えたるに、約(やく)して、此の説を作すことを得る。余経は然(しか)らず」、等、云云。此の経文の心は、一劫(こう)とは、人寿、八万歳ありしより、百年に一歳をすて、千年に十歳をすつ、此(か)くの如く、次第に減ずる程に、人寿、十歳になりぬ。此の十歳の時は、当時の八十の翁(おきな)のごとし。又、人寿、十歳より百年ありて、十一歳となり、又、百年ありて、十二歳となり、乃至(ないし)、一千年あらば二十歳となるべし。乃至(ないし)、八万歳となる。此の一減一増を、一劫(こう)とは申すなり。又、種種の劫ありといへども、且(しばら)く、此の劫を以て申すべし。此の一劫が間、身口意(しんくい)の三業(さんごう)より事おこりて、仏をにくみたてまつる者あるべし。例せば、提婆達多(だいばだった)がごとし。仏は、浄飯王(じょうぼんのう)の太子、提婆達多は、斛飯王(こくぼんのう)の子なり。兄弟の子息なる間、仏の御いとこにてをはせしかども、今も昔も、聖人も凡夫も、人の中をたがへること、女人よりして起りたる。第一のあだにてはんべるなり。釈迦如来は、悉達(しった)太子としてをはしし時、提婆達多も同じ太子なり。耶輸(やしゅ)大臣に女あり。耶輸多羅女(やしゅたらにょ)となづく。五天竺第一の美女、四海名誉の天女なり。悉達と提婆と、共に后(きさき)にせん事をあらそひ給いし故に、中あしくならせ給いぬ。後に、悉達は、出家して、仏とならせ給い、提婆達多、又、須陀比丘(しゅだびく)を師として出家し給いぬ。仏は、二百五十戒を持ち、三千の威儀をととのへ給いしかば、諸の天人、これを渇仰(かつごう)し、四衆、これを恭敬(くぎょう)す。提婆達多を、人、たと(貴)まざりしかば、いかにしてか、世間の名誉、仏にすぎん、と、はげみしほどに、とかう案じいだして、仏にすぎて、世間にたとまれぬべき事、五つあり。四分律に云く、一には、糞掃衣(ふんぞうえ)、二には、常乞食(じょうこつじき)、三には、一座食(いちざじき)、四には、常露座(じょうろざ)、五には、塩及び五味を受けず、等、云云。仏は、人の施す衣をうけさせ給う。提婆達多は、糞掃衣(ふんぞうえ)。仏は、人の施す食をうけ給う。提婆は、只(ただ)、常乞食(じょうこつじき)。仏は、一日に、一二三反も食せさせ給い、提婆は、只(ただ)、一座食(いちざじき)。仏は、塚間(ちょかん)、樹下(じゅげ)にも処し給い、提婆は、日中、常露座(じょうざろ)なり。仏は、便宜(びんぎ)には、しを(塩)、復(また)は、五味を服し給い、提婆は、しを等を服せず。かうありしかば、世間、提婆の仏にすぐれたる事、雲泥なり。かくのごとくして、仏を失いたてまつらんとうかがひし程に、頻婆舎羅王(びんばしゃらおう)は、仏の檀那(だんな)なり。日日に五百輛の車を、数年が間、一度もかかさずおくりて、仏、並びに、御弟子(みでし)等を供養し奉(たてまつ)る。これを、そねみ、とらんがために、未生怨(みしょうおん)太子(阿闍世(あじゃせ))をかたらいて、父、頻婆舎羅王(びんばしゃらおう)を殺させ、「我は、仏を殺さん」、と、して、或は、石をもって、仏を打ちたてまつるは、身業(しんごう)なり。仏は、誑惑(おうわく)の者と罵詈(めり)せしは、口業(くごう)なり。内心より宿世の怨(あだ)とをもひしは、意業(いごう)なり。三業相応の大悪、此れにはすぐべからず。此の提婆達多ほどの大悪人、三業相応して、一中劫が間、釈迦仏を罵詈(めり)・打杖(ちょうじょう)、し、嫉妬し、候はん大罪は、いくらほどか重く候べきや。此の大地は、厚さは、十六万八千由旬(ゆじゅん)なり。されば、四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、一切衆生をも、頂戴(ちょうだい)して候へども、落ちもせず、かたぶかず、破れずして、候ぞかし。しかれども、提婆達多が身は、既(すで)に、五尺の人身なり。わづかに三逆罪に及びしかば、大地破れて地獄に入りぬ。此の穴、天竺(てんじく)に、いまだ候。玄奘(げんじょう)三蔵、漢土より月支に修行して、此れをみる。西域(さいいき)と申す文に、載せられたり。而(しか)るに、法華経の末代の行者を、心にもをもはず、色にもそねまず、只(ただ)、たわふれ(戯)て、の(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく、三業相応して、一中劫(こう)、仏を罵詈(めり)し奉るに、すぎて候、と、とかれて候。何に況(いわん)や、当世の人の、提婆達多がごとく、三業相応しての大悪心をもって、多年が間、法華経の行者を、罵詈(めり)・毀辱(きにく)・嫉妬・打擲(ちょうちゃく)・讒死(ざんし)・歿死(ぼっし)、に、当てんをや。
問うて云く、末代の法華経の行者を、怨(あだ)める者は、何(いか)なる地獄に堕つるや。答えて云く、法華経の第二に云く、「経を読誦し、書持すること有らん者を見て、軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)して、結恨(けっこん)を懐(いだ)かん。乃至(ないし)、其の人、命(みょう)、終(じゅう)して、阿鼻獄(あびごく)に入らん。一劫(こう)を具足(ぐそく)して、劫(こう)、尽(つ)きなば、復(また)、死し、展転(てんでん)して、無数劫に至らん」、等、云云。此の大地の下、五百由旬(ゆじゅん)を過ぎて、炎魔(えんま)王宮あり。その炎魔王宮より下、一千五百由旬(ゆじゅん)が間に、八大地獄、並びに、一百三十六の地獄あり。其の中に、一百二十八の地獄は、軽罪の者の住処、八大地獄は、重罪の者の住処なり。八大地獄の中に、七大地獄は、十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は、五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり。今、法華経の末代の行者を、戯論(けろん)にも、罵詈(めり)・誹謗、せん、人人は、おつべし、と、説き給へる文なり。法華経の第四法師品に云く、「人、有って、仏道を求めて、一劫の中に於て、乃至(ないし)、持経者を歎美(たんび)せんは、其の福、復(また)、彼(かれ)に過ぎん」、等、云云。妙楽大師、云く、「若(も)し、悩乱する者は、頭(こうべ)、七分に破れ、供養する有らん者は、福、十号に過ぐ」、等、云云。夫(そ)れ、人中には、転輪聖王、第一なり。此の輪王、出現し給うべき前相として、大海の中に、優曇華(うどんげ)と申す大木、生(お)いて、華(はな)さき、実(このみ)なる。金輪王(こんりんのう)、出現して、四天の山海を平(たいらか)になす。大地は、緜(わた)の如くやはらかに、大海は、甘露(かんろ)の如くあまく、大山は、金山・草木、は、七宝なり。此の輪王、須臾(しゅゆ)の間に、四天下をめぐる。されば、天も守護し、鬼神も来って、つかへ、竜王も時に随って、雨をふらす。劣夫なんども、これに従ひ奉れば、須臾(しゅゆ)に四天下をめぐる。是(こ)れ、偏(ひとえ)に、転輪王の十善の感得せる大果報なり。毘沙門(びしゃもん)等の四大天王は、又、これには似るべくもなき、四天下の自在の大王なり。帝釈は、?利天(とうりてん)の主、第六天の魔王は、欲界の頂に居して、三界を領す。此れは、上品の十善戒・無遮(むしゃ)の大善、の、所感なり。大梵天王は、三界の天尊、色界(しきかい)の頂に居して、魔王・帝釈、を、したがへ、三千大千界を手ににぎる。有漏(うろ)の禅定(ぜんじょう)を修行せる上に、慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)、の、四無量心を修行せる人なり。声聞(しょうもん)と申して、舎利弗(しゃりほつ)・迦葉(かしょう)、等、は、二百五十戒・無漏(むろ)の禅定(ぜんじょう)、の、上に、苦・空・無常・無我、の、観をこらし、三界の見思(けんじ)を断尽(だんじん)し、水火に自在なり。故(ゆえ)に、梵王と帝釈とを眷属(けんぞく)とせり。縁覚(えんかく)は、声聞に似るべくもなき人なり。仏と出世をあらそふ人なり。昔、猟師ありき。飢えたる世に、利咤(りた)と申す辟支仏(ひゃくしぶつ)に、ひえの飯を一盃、供養し奉りて、彼の猟師、九十一劫(こう)が間、人中、天上の長者と生る。今生には、阿那律(あなりつ)と申す、天眼第一の御弟子(みでし)なり。此れを、妙楽大師、釈して云く、「稗飯(ひはん)、軽しと雖(いえど)も、所有を尽し、及び、田、勝るるを以(もっ)ての故に、勝るる報を得る」、等、云云。釈の心は、ひえの飯は、軽しといへども、貴き辟支仏(ひゃくしぶつ)を供養する故に、かかる大果報に、度度(たびたび)、生る、と、こそ書かれて候へ。又、菩薩と申すは、文殊(もんじゅ)・弥勒(みろく)、等、なり。此の大菩薩等は、彼の辟支仏(ひゃくしぶつ)に似るべからざる大人なり。仏は、四十二品の無明(むみょう)と申す闇を破る、妙覚の仏なり。八月十五夜の満月のごとし。此の菩薩等は、四十一品の無明をつくして、等覚の山の頂にのぼり、十四夜の月のごとし。仏と申すは、上の諸人には、百千万億倍すぐれさせ給へる大人なり。仏には必ず三十二相あり。其の相と申すは、梵音声(ぼんのんじょう)・無見頂相(むけんちょうそう)・肉髻相(にくけいそう)・白毫相(びゃくごうそう)、乃至(ないし)、千輻輪相(せんぷくりんそう)、等、なり。此の三十二相の中の一相をば、百福を以て成じ給へり。百福と申すは、仮令(たとい)、大医(だいい)ありて、日本国・漢土・五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国、乃至(ないし)、一閻浮提(?んぶだい)・四天下・六欲天、乃至(ないし)、三千大千世界、の、一切衆生の眼(まなこ)の盲(めしい)たるを、本の如く、一時に開けたらんほどの大功徳を、一つの福として、此の福、百をかさねて候はんを以て、三十二相の中の一相を成ぜり。されば、此の一相の功徳は、三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨の足よりもすぎたり。設(たと)い、壊劫(えこう)の時、僧?陀(そうぎゃだ)と申す大風ありて、須弥山(しゅみせん)を吹き抜いて、色究竟天(しきくきょうてん)にあげて、かへって、微塵(みじん)となす大風なり、然(しか)れども、仏の御身の一毛をば、動かさず。仏の御胸に大火あり、平等大慧(びょうどうたいえ)・大智光明(だいちこうみょう)・火坑三昧(かきょうさんまい)、と、云う。涅槃(ねはん)の時は、此の大火を胸より出して、一身を焼き給いしかば、六欲・四海の、天神・竜衆、等、仏を惜み奉る故に、あつまりて、大雨を下し、三千の大地を水となし、須弥(しゅみ)は流るといへども、此の大火はきへず。仏には、かかる大徳ましますゆへに、阿闍世(あじゃせ)王は、十六大国の悪人を集め、一四天下の外道(げどう)をかたらひ、提婆(だいば)を師として、無量の悪人を放ちて、仏弟子を、のり、うち、殺害せしのみならず、賢王にて、とがもなかりし父の大王を、一尺の釘をもって、七処まで、うちつけ、は(磔)つけにし、生母をば、王のかんざしをきり、刀を頭(こうべ)にあてし。重罪のつもりに、悪瘡(あくそう)、七処に出でき、三七日を経て、三月の七日に、大地破れて無間地獄に堕ちて、一劫(こう)を経べかりしかども、仏の所(みもと)に詣(もう)で、悪瘡、いゆるのみならず、無間地獄の大苦をまぬかれ、四十年の寿命、延びたりき。又、耆婆(ぎば)大臣も、御つかひなりしかば、炎の中に入って、瞻婆(せんば)長者が子を取り出したりき。之(これ)を以(もっ)て、之を思うに、一度も、仏を供養し奉る人は、いかなる、悪人・女人、なりとも、成仏得道、疑(うたがい)無し。提婆(だいば)には、三十相あり。二相かけたり。所謂(いわゆる)、白毫(びゃくごう)と千輻輪(せんぷくりん)となり。仏に、二相、劣りたりしかば、弟子等、軽く思いぬべしとて、螢火をあつめて、眉間につけて、白毫(びゃくごう)と云ひ、千輻輪(せんぷくりん)には、鍛冶(かじ)に菊形をつくらせて、足に付けて行くほどに、足、焼(やき)て、大事になり、結句(けっく)、死せんとせしかば、仏に申す。仏、御手(みて)を以てなで給いしかば、苦痛さりき。ここにて、改悔(かいげ)あるべきかと思いしに、さはなくして、「瞿曇(くどん)(釈尊)が習ふ、医師(くすし)は、こざかしかりけり。又、術にて有る」、など、云ひしなり。かかる敵にも、仏は、怨(あだ)をなし給はず。何に況(いわん)や、仏を、一度も、信じ奉る者をば、争(いか)でか、捨て給うべきや。
かかる仏なれば、木像・画像、に、うつし奉(たてまつ)るに、優填(うでん)大王の木像は、歩(あゆみ)をなし、摩騰(まとう)の画像は、一切経を説き給ふ。是れ程に貴き教主釈尊を、一時二時ならず、一日二日ならず、一劫(こう)が間、掌(たなごころ)を合せ、両眼を仏の御顔にあて、頭(こうべ)を低(たれ)て、他事を捨て、頭(こうべ)の火を消さんと欲するが如く、渇(かつ)して水ををもひ、飢えて食を思うがごとく、間(ひま)無く、供養し奉る功徳よりも、戯論(けろん)に、一言、継母(ままはは)の継子をほむるが如く、心ざしなくとも、末代の法華経の行者を讃め、供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間、生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべし、と、説き給いて候。これを、妙楽大師は、福過十号(ふっかじゅうごう)とは書れて候なり。十号と申すは、仏の十の御名(みな)なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は、勝るとかかれたり。妙楽大師は、法華経の一切経に勝れたる事を、二十あつむる、其の一なり。巳上(いじょう)、上の二つの法門(若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号)は、仏説にては候へども、心えられぬ事なり。争(いかで)か、仏を供養し奉るよりも、凡夫を供養するがまさるべきや。而(しか)れども、是(これ)を妄語(もうご)と云はんとすれば、釈迦如来の金言を疑い、多宝仏の証明を軽しめ、十方諸仏の舌相(ぜっそう)をやぶるになりぬべし。若(も)し、爾(しか)らば、現身に阿鼻地獄に堕つべし。巌石(がんせき)にのぼりて、あら馬を走らするが如し。心肝、しづかならず。又、信ぜば、妙覚の仏にもなりぬべし。如何(いかに)してか、今度(このたび)、法華経に信心をとるべき。信なくして此の経を行ぜんは、手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企(くわだ)つるが如し。
但(ただ)し、近き現証を引いて、遠き信を取るべし。仏の御歳八十の正月一日、法華経を説きおはらせ給て、御物語あり。「阿難・弥勒・迦葉、我、世に出でし事は、法華経を説かんがためなり。我、既に、本懐をとげぬ。今は、世にありて詮なし。今、三月ありて、二月十五日に涅槃(ねはん)すべし」(観普賢菩薩行法経)、云云。一切内外の人人、疑(うたがい)をなせしかども、仏語むなしからざれば、ついに、二月十五日に、御涅槃ありき。されば、仏の金言は、実なりけるか、と、少し信心は、とられて候。又、仏、記し給ふ、「我。滅度の後、一百年と申さんに、阿育(あそか)大王と申す王、出現して、一閻浮提、三分の一が、主となりて、八万四千の塔を立て、我が舎利(しゃり)を供養すべし」(雑阿含経巻二十三)、云云。人、疑い申さんほどに、案の如くに出現して候いき。是よりしてこそ、信心をば、とりて候いつれ。又、云く、「我、滅後に、四百年と申さんに、迦弐色迦(かにしか)王と申す大王あるべし。五百の阿羅漢を集めて、婆沙(ばしゃ)論を造るべし」(大唐西域記巻二)、と。是(これ)、又、仏記のごとくなりき。是等をもってこそ、仏の記文は、信ぜられて候へ。若(も)し、上に挙ぐる所の二の法門、妄語(もうご)ならば、此の一経は、皆、妄語(もうご)なるべし。寿量品に、「我は、過去、五百塵点劫(じんてんこう)のそのかみの仏なり」、と、説き給う。我等は凡夫なり。過ぎにし方は、生れてより已来(このかた)すら、なを、おぼへず、況(いわん)や、一生二生をや、況や、五百塵点劫の事をば、争(いかで)か、信ずべきや。又、舎利弗等に記して云く、「汝、未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎ、及至(ないし)、当(まさ)に、作仏することを得べし。号を華光(けこう)如来と曰わん」(法華経譬喩品第三)、云云。又又、摩訶迦葉に記して云く、「未来世に於て、乃至、最後の身に於て、仏と成為(なる)ことを得ん。名けて光明(こうみょう)如来と曰わん」(法華経授記品第六) 、云云。此等の経文は、又、未来の事なれば、我等凡夫は、信ずべしともおぼえず。されば、過去・未来、を、知らざらん凡夫は、此の経は、信じがたし。又、修行しても、何の詮(せん)かあるべき。是(これ)を以(もっ)て、之(これ)を思うに、現在に、眼前の証拠、あらんずる人、此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん。”

(2005.05.31)
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