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”然而(しかるに)、日蓮、小智を以(もっ)て、勘(かんが)えたるに、其の故あり。所謂(いわゆる)、彼の真言の邪法の故なり。僻事(ひがごと)は、一人なれども、万国のわづらひなり。一人として、行ずとも、一国二国、やぶれぬべし。況(いわん)や、三百余人をや。国主とともに、法華経の大怨敵(だいおんてき) となりぬ。いかでか、ほろびざらん。かかる大悪法、としをへて、やうやく、関東におち下りて、諸堂の別当供僧(ぐそう)となり、連連と行えり。本より、辺域の武士なれば、教法の邪正をば知らず、ただ三宝をばあがむべき事と、ばかり思ふゆへに、自然(じねん)として、これを用いきたりて、やうやく年数を経る程に、今、他国のせめをかうふりて、此の国、すでにほろびなんとす。関東八箇国のみならず、叡山・東寺・園城・七寺、等、の、座主(ざす)・別当、皆、関東の御はからひとなりぬるゆへに、隠岐の法皇のごとく、大悪法の檀那と成(なり)定まり給いぬるなり。国主となる事は、大小、皆、梵王・帝釈・日月・四天、の御計(おんはから)いなり。法華経の怨敵(おんてき)となり定まり給はば、忽(たちまち)に、治罰すべきよしを誓い給へり。随って、人 王八十一代、安徳天皇に、太政(だいじょう)入道の一門、与力して、兵衛佐(ひょうえのすけ)頼朝を調伏せんがために、叡山を氏寺と定め、山王を氏神と、たのみしかども、安徳は、西海に沈み、明雲は、義仲に殺さる。一門、皆、一時に、ほろび畢(おわ)んぬ。第二度なり。今度(このたび)は、第三度にあたるなり。
日蓮がいさめを御用いなくて、真言の悪法を以て、大蒙古を調伏せられば、日本国、還って、調伏せられなむ。「還著於本人(げんちゃくおほんにん)」(法華経、観世音菩薩普門品第二十五)、と説けり、と、申すなり。然(しか)らば、則(すなわ)ち、罰を以て、利生(りしょう)を思うに、法華経にすぎたる仏になる大道は、なかるべきなり。現世の祈祷は、兵衛佐(ひょうえのすけ)殿、法華経を読誦する、現証なり。
此の道理を存ぜる事は、父母と師匠との御恩なれば、父母は、すでに過去し給い畢んぬ。故道善御房は、師匠にておはしまししかども、法華経の故に、地頭におそれ給いて、心中には、不便とおぼしつらめども、外には、かたきのやうににくみ給いぬ。後には、すこし信じ給いたるやうに、きこへしかども、臨終には、いかにや、おはしけむ、おぼつかなし。地獄までは、よもおはせじ。又、生死をはなるる事は、あるべしともおぼへず。中有にや、ただよひ、ましますらむ、と、なげかし。貴辺は、地頭のいかりし時、義城房とともに、清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくとも、これを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給うべし。
此の御本尊は、世尊、説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に、いまだひろめたる人候はず。漢土の天台、日本の伝教、ほぼしろしめして、いささか、ひろめさせ給はず。当時こそ、ひろまらせ給うべき時にあたりて候へ。経には、上行・無辺行、等、こそ、出でて、ひろめさせ給うべし、と、見へて候へども、いまだ見へさせ給はず。日蓮は、其の人に候はねども、ほぼこころえて候へば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの、口ずさみに、あらあら申して、「況滅度後(きょうめつどご)」(法華経、法師品第十)、の、ほこさきに当り候なり。願わくは、此の功徳を以て、父母と師匠と一切衆生に回向(えこう)し奉らんと、祈請、仕(つかまつ)り候。其の旨をしらせまいらせむがために、御不審を書き、おくりまいらせ候に、他事をすてて、此の御本尊の御前にして、一向に、後世をも、いのらせ給い候へ。又、これより申さんと存じ候。いかにも、御房たち、はからい申させ給へ。”

(本尊問答抄、編年体御書P1149、御書P365)

(2005.07.13)
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