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”新春の慶賀、自他、幸甚幸甚。去年、来らず、如何(いかん)。定めて子細有らんか。抑(そもそも)、参詣を企て候わば、伊勢公の御房に、十住心論・秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)・二教論、等、の、真言の疏(じょ)を借用候へ。是くの如きは、真言師、蜂起の故に、之を申す。又、止観の、第一・第二、御随身候へ。東春(とうしゅん)・輔正記(ふしょうき)、なんどや候らん。円智房の御弟子(みでし)に、観智房の持ちて候なる宗要集、かしたび候へ。それのみならず、ふみの候由も、人人申し候いしなり。早早に、返すべきのよし、申させ給へ。今年は、殊に、仏法の邪正たださるべき年か。浄顕(じょうげん)の御房、義城房、等、には、申し給うべし。日蓮が、度度(たびたび)、殺害せられんとし、並びに、二度まで、流罪せられ、頚(くび)、刎(はね)られんとせし事は、別に世間の失(とが)に候はず。生身(しょうしん)の虚空蔵菩薩より、大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給へ、と、申せし事を、不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給いて、右の袖にうけとり候いし故に、一切経を見候いしかば、八宗、並びに、一切経の勝劣、粗(ほぼ)是を知りぬ。其の上、真言宗は、法華経を失う宗なり。是(これ)は、大事なり。先ず、序分に、禅宗と念仏宗の僻見(びゃっけん)を責めて見んと思ふ。其の故は、月氏・漢土、の仏法の邪正は、且(しば)らく之を置く。日本国の法華経の正義を失うて、一人もなく、人の悪道に堕つる事は、真言宗が、影の身に随うがごとく、山山・寺寺、ごとに、法華宗に真言宗をあひそひて、如法の法華経に、十八道をそへ、懺法(せんぽう)に、阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の潅頂(かんちょう)をして、真言宗を正とし、法華経を傍とせし程に。真言経と申すは、爾前(にぜん)権教(ごんきょう)の内の、華厳・般若、にも劣れるを、慈覚・弘法、これに迷惑して、或は、法華経に同じ、或は、勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも、仏眼大日の、印・真言、をもって、開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像、皆、無魂無眼の者となりぬ。結句は、天魔、入り替って、檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。此の悪真言、かまくらに来りて、又、日本国をほろぼさんとす。
其の上、禅宗・浄土宗、なんどと申すは、又、いうばかりなき、僻見(びゃっけん)の者なり。此れを申さば、必ず、日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国、東条の郷、清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして、浄円房と申す者、並びに、少少の大衆に、これを申しはじめて、其の後、二十余年が間、退転なく申す。或は、所を追い出され、或は、流罪等、昔は聞く、不軽菩薩の杖木(じょうもく)等を、今は見る、日蓮が刀剣に当る事を。日本国の有智無智、上下万人の云く、日蓮法師は、古の、論師・人師・大師・先徳、にすぐるべからずと。日蓮、この不審をはらさんがために、正嘉・文永、の大地震、大長星を見て、勘(かんが)えて云く、我が朝に、二つの大難あるべし、所謂(いわゆる)、自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)・他国侵逼難(たこくしんぴつなん)、なり。自界は、鎌倉に権(ごん)の大夫殿、御子孫、どしうち(同志打)出来すべし。他国侵逼難は、四方よりあるべし。其の中に、西よりつよくせむべし。是れ、偏(ひとえ)に、仏法が一国挙(こぞ)りて、邪なるゆへに、梵天・帝釈、の他国に仰せつけて、せめらるるなるべし。
日蓮をだに、用いぬ程ならば、将門(まさかど)・純友(すみとも)・貞任(さだとう)・利仁(としひと)・田村、のやうなる将軍、百千万人ありとも、叶(かな)ふべからず。これ、まことならずば、真言と念仏等の僻見をば、信ずべしと申しひろめ候いき。就中(なかんずく)、清澄山の大衆は、日蓮を、父母にも、三宝にも、をもひをとさせ給はば、今生には、貧窮(びんぐ)の乞者(こっしゃ)とならせ給ひ、後生には、無間地獄に堕ちさせ給うべし。故(ゆえ)いかんとなれば、東条左衛門景信(かげのぶ)が悪人として、清澄(きよみず)のかいしし(飼鹿)等をかり(狩)とり、房房の法師等を、念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮、敵をなして、領家のかたうどとなり、清澄(きよみず)・二間、の二箇の寺、東条が方につくならば、日蓮、法華経をすてんと、せいじやう(精誠)の起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆいつけて、いのりて、一年が内に、両寺は、東条が手をはなれ候いしなり。此の事は、虚空蔵菩薩も、いかでか、すてさせ給うべき。大衆も、日蓮を心へずにをもはれん人人は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば、愚癡(ぐち)の者は、我をのろうと申すべし。後生に、無間地獄に堕ちんが不便(ふびん)なれば、申すなり。
領家の尼ごぜんは女人なり。愚癡なれば、人人のいひをどせば、さこそと、ましまし候らめ。されども、恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ、不便に候へども、又、一つには、日蓮が、父母等に恩をかほらせたる人なれば、いかにしても、後生をたすけたてまつらん、と、こそ、いのり候へ。法華経と申す御経は、別の事も候はず。我は、過去、五百塵点劫より先の仏なり。又、舎利弗等は、未来に仏になるべし、と。これを信ぜざらん者は、無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず、多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだして、かう候。地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はん、と、説かれたり。されば、仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事、を申しあてて候が、まことの法華経にては候なり。
日蓮は、いまだ、つくし(筑紫)を見ず、えぞしらず。一切経をもって勘(かんが)へて候へば、すでに値(あ)いぬ。もし、しからば、各各、不知恩の人なれば、無間地獄に堕ち給うべし、と、申し候は、たがひ候べきか。今はよし、後をごらんぜよ。日本国は、当時の、ゆき(壱岐)・対馬、のやうになり候はんずるなり。其の時、安房の国に、むこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合うたり、と、申すは、偏執(へんしゅう)の法師等が、口すくめて、無間地獄に堕ちん事、不便なり、不便なり。
 正月十一日                                     日蓮花押
  安房の国清澄寺大衆中
このふみは、さど殿と、すけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして、大衆ごとに、よみきかせ給へ。”

(清澄寺大衆中、編年体御書P849、御書P893)

(2005.07.15)
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