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その下賎の凡夫は、どんな相手に対しても、”あなたは、軽くはありません、いずれ、仏(相対の神)になられます”、と、言う、とありますが、そうしますと、その金ぴかの黄金で着飾った、絶対的権力者の、仏教者と称する仏教者に対しても、言う、ということになると思うんですが・・・。
ええ、その金ぴかの黄金で着飾った、絶対的権力者の、仏教者と称する仏教者に対しても、言う、ということになります。さらに、菩薩は、より善の救済者ですから、より悪に対して、特に、聖職者の悪に対しては、より厳しく、ものを言います。それは、その聖職者の悪、だけではなく、その聖職者に盲従する多くの民衆の私の悪、の破壊からの救済を意味しますから。
それは、決定権のより上位に従っている、ということですね。
ええ、その選択は、いかに戦わないか、を含めて、より決定権の上位に、従っています。
その悪の聖職者の中でも、より最悪なのが、より最上の善の真理(絶対の神)を破壊する、悪、だと思うのですが。
ええ、ですから、その下賎の凡夫は、根っからの下賎の身ですから、”大糞”、と、言って、厳しく非難します。
その、より最悪の、”大糞”、に、金箔とか、お金を、与えて、その、より最悪を養う、という行為は、当然、より最悪の行為、ということになりますよね。
ええ、知っていても、知らなくても、悪を育てる行為は、悪です。悪は、破壊を意味しますから、知っていても、知らなくても、いずれ、破壊されます。これは、因果の、”絶対の神”、による、法(法則、真理)の裁きですから、絶対です。ここでいう裁きという言葉は、擬人法です。実態は、その因果の、”絶対の神”、の、その法則、真理、に、則っている、従っている、その法則、真理、の有り様(よう)を、心から信じている、心から選択し信受している、その、より最上の善の普遍の私(相対の神)が、それを、ともに見、それを、ともに知り、それを、ともに裁く、ということです。
国なら国が、企業なら企業が、組織なら組織が、個人なら個人が、その因果の、”絶対の神”、による、法(法則、真理)の裁き、にさらされる、ということですね。
ええ、ですから、針の穴のような小さなことと思えることでも、それが、より最善の真理(絶対の神)の破壊(汚し、傷つけ、見えなくする、行為)につながるものであれば、国であろうと、なんであろうと、より破壊され、より汚され、より傷つけられ、より見えなくされます。
つまり、あの、アメリカの大統領に靴を投げた、その一人の普遍の私の行為は、その裁きの一つの現れであり、それがゲームとして、世界中の普遍の私に支持され、無数の、靴が投げられ、無数に、”その名(名誉)が、吐き捨てられ ”、ている、という現実は、その無数の、普遍の私による、裁き、の現れだ、ということですね。
ええ、その因果の、”絶対の神”、による、法、の裁きは、厳しいものです。
つまり、それは、今の、アメリカ発の、日本の、世界の、企業の、あの盲目の組織の、個人の、その善悪ともの、容赦のない、その破壊の波も、その、”絶対の神”、の、破壊による、”絶対の神”、の、裁き、の現れの、現実だ、ということですね。
ええ、その因果の、”絶対の神”、による、法、の裁きは、厳しいものです。
(2008.12.21)
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