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妙法蓮華経、とは、絶対神の名、であるとしていますが、その題目が中央に表されている、このページの本尊について、その体(てい)たらく、を、もう少し説明していただけますか。
妙法蓮華経は、法の名、すなわち、絶対神の名ですが、その名の上に、南無、とあります。これは、その法に則る、その法則、真理、に従っている、その法則、真理、の有り様(よう)を、心から信じる、心から選択し信受する、という意味ですが、全体で、その法に則る、その法則、真理、に従っている、その法則、真理、の有り様(よう)を、心から選択し信受する、知恵を持つ、私、ということを意味し、三身即一身、すなわち、法身(ほっしん)、報身(ほうしん)、応身(おうじん)、の、三身の仏を一身の仏とした、私、三身即一身如来、一身即三身如来、のことで、南無妙法蓮華経如来、ともいいます。つまり、妙法蓮華経は、最上の、法則、真理、を意味する、法身如来、南無妙法蓮華経は、その最上の法則、真理に則っている、その法則、真理、の有り様(よう)を、心から選択し信受する、最上の知恵を意味する、報身如来、妙法蓮華経如来は、その最上の法則、真理に則っている、その法則、真理、の有り様(よう)を、心から選択し信受する、最上の普遍の私を意味する、応身如来、を、それぞれ意味し、その全体の、南無妙法蓮華経如来、は、その本尊の中央に、如来、を省略した形で(如来は、この本尊全体を示しているので)、表されています。
つまり、その本尊は、絶対神の最上の、法則、真理、に、則っている、その最上の法則、真理、の有り様(よう)を、心から選択し信受する、その最上の知恵を持つ、その最上の普遍の私(如来)、という、”生命”、を、表している、ということですね。
ええ、その最上の普遍の私の生命(如来)を、”仏”、とも、”相対の神”、とも言います。
その、南無妙法蓮華経如来、の周りの、図、像、は、何を表しているんですか?
それは、十界の衆生(生命)を表しています。すなわち、絶対神の、最上の、法則、真理、の光りに照らされた、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏、の生命、と、その世界、とを、表し、さらに、絶対神の、最上の、法則、真理、の光りに照らされた、南無妙法蓮華経如来、を、そのそれぞれの内に秘蔵する、その一瞬の、その十界になぞらえた物質を含めた生命世界の全体、その一瞬の、その十界になぞらえた人間世界の全体、その一瞬の、その十界になぞらえた一個人の人間の私、を、表しています。
つまり、絶対神の、最上の、法則、真理、の光りに照らされた、南無妙法蓮華経如来、を、そのそれぞれの内に秘蔵する、その無限の、その一瞬の、そのそれぞれの普遍の私、と、その世界、とを、表している、ということですね。
ええ、絶対神の光りに照らされた、南無妙法蓮華経如来、の、記憶そのものの、その無限の、その一瞬の、その繰り返しの、普遍の私、と、その世界、とが、表されています。
その普遍の私の世界が、南無妙法蓮華経如来、そのもの、ということですね。
ええ、すべて、南無妙法蓮華経如来、の、記憶です。
(2008.12.03)
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