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生と死

目の前のゴキブリが死んでも世界は見えるままにある。


目の前の友人が骨になっても世界は見えるままにある。


だからといって、死んだゴキブリや友人の側に立った時、あなたが見えているような世界の中に、彼らが死んでいると言えるだろうか。


時空間(世界)は相対的なもので、立場が変わると変化するということがわかっている。


ならば、死の立場は、まったく違った世界となるはずだ。


死んだ生命の身体が生命の変容態(物質)となるように、その生命の精神もその生命の変容態となる。


すべてが繰り返しの内にあるならば、生命の生死も繰り返しの内にあるはずだ。


今の科学の段階から見ても、死んだら生命は無になるということの蓋然性は極めて低い。


勿論、"生命"の定義が問題になるけれど。


同様に、あなたの"私"という自我が、無から生じたということの蓋然性も極めて低い。


蓋然性の得意なコンピュータは、やがて生命の生と死のシミュレーションを描くだろう。


それは、遠くない将来にちがいない。


(1997.4.20)

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