母


先日、東京大空襲の夥(おびただ)しい凄惨(せいさん)な画像を見ていてこの写真を見つけた。
中央の穏やかに寝ているような遺体が、家人の祖母に似ている。正しくは、家人の母に似ているから(母方の母)祖母ではないか、と。

母は二十歳のとき、両親と弟達とともに墨田区本所で被災した。 四方に火の手があがり、どの方角に逃げてよいのか、井戸の周りをぐるぐる、他の多くの被災者とともに廻っていた、という。そこでその場にいあわせた母の両親(祖父母)と母と母の弟二人の家族は、どうやらそこにいる全員が同じ方向に逃げると助かるときは全員助かるが、そうでないときは全員助からないからと、祖父と母とは祖父の実家のある東の千葉の方へ、祖母と母の弟二人の三人は、西の川(隅田川)のある方へ、別々に逃げたようで、それで、祖父と母の方は助かり、祖母と母の弟二人の方は行方知れず、に、・・そのことで母は、学徒動員でその場にいなかったすぐ下の弟に、後々、生涯責められていたようで、詳しいいきさつはわからないが、ただ相当に切羽詰った状況であったことに間違いなく、あの大空襲、そんな状況はあちこちにあったことに間違いなく、もしこの写真の遺体が祖母であるなら、母の弟二人も傍にいるはず、と、・・・。


そんな思いにさせられるほど、その遺体は家人の母に似ている。
たとえ、 人違いとしても遠からず、私の繭(まゆ)のより因縁の近い私の姿であることに間違いなく、その穏やかな贖罪(しょくざい)の寝姿に、その私は救われる。

より因縁の近いその私の姿であるがゆえに。


(母方の)祖母と母の弟たち、三人の命日は、3月10日、になっている。




その夥(おびただ)しく無残に殺された私と(その業の因縁で殺されたとしても)、

その夥(おびただ)しく無残に殺した私と(その業の因縁で殺したとしても)、

その私の星々に捧げます

2015/03/13
<--
-->
sindex
index
home