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弁証法

我執を否定する勇気を持とう。その繰り返しで真実が現れる。これを弁証法という。


部分を全体だと信じていることが、少しでも疑えたら、勇気を出して、その我執をひとまず否定してみて、その部分が果たしてその全体に対しての部分となるかを検証してみよう。その部分が真に部分とわかったならば、その部分を含んだ全体が、全体に於いての真理である。これを弁証法という。


偽物を本物だと信じていることが、少しでも疑えたら、勇気を出して、その我執をひとまず否定してみて、その偽物が果たしてその本物に対しての偽物となるかを検証してみよう。その偽物が真に偽物とわかったならば、その偽物を含んだ本物が、本物に於いての真理である。これを弁証法という。


確かに、光は闇があっての光であり、善は悪があっての善である。


だから、本当の光とは、光と闇とがはっきりと区別された全体としての光であり、本当の善とは、善と悪とがはっきりと区別された全体としての善である。


是非とも、部分と全体、偽物と本物とを選り分ける作業が必要だ。


真の絶対知とは、体現に於いてのみ現れる。


(1997.6.5)

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