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世界が記憶であることの微分的証明。
未来はすべて記憶から成りたち、過去も無限も記憶の属性。つまり、実体と称するものは、”今、ここ”、の、無限の一瞬にのみ存在する。”今、ここ”、の、無限の一瞬にのみ存在するものとは、その属性の無限性から記憶としかいいようのないもの。つまり、実体と称するものの正体は、”記憶”、であり、脳に記録される記憶は、その本来の、”記憶”、の、ほんの一部の模倣的存在の、”記憶”、に、過ぎない。
その、”記憶”、は、識(しき)によってのみ選択される。
すべての識(しき)がない私には、”記憶”、の、選択がないから、時間も空間も存在しない。
その時、私は、存在も、存在しないも、ない、丸でもなく、四角でもなく、白でもなく、赤でもなく、ひとつでもなく、多でもなく、自でもなく、他でもなく、・・・、私でもなく、それを、空(くう)、と定義した。
その、ひとつでもなく、・・・、私でもない、空(くう)を、生命の、”ぼく”、と、名づけた。
”記憶”、の、私の無意識の呼吸、鼓動、等も、”記憶”、の、私の脳の選択であり、その、”記憶”、の、私の脳の存在の選択も、その、”記憶”、の、生命の、”ぼく”、の、選択。
その、”記憶”、の、生命の、”ぼく”、の、選択の、”記憶”、
つまり、”記憶”、は、本有(ほんぬ)のもの。
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