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その虐殺者の私の鏡。

その鏡に映る被害者の私、と、その被害者の私の鏡。

そのそれぞれの私のそのそれぞれ鏡に映るそのそれぞれの私。

そのそれぞれの私のそのそれぞれ鏡に映るそのそれぞれの私。

その無限の私と無限の鏡。

無限とは、記憶であり、ひとつ、ということ。

ひとつの記憶の私が、ひとつの記憶の鏡に向かい、そこに映る同じひとつの私に対して、おどけている。

ほうら、私は偉いだろう、ほうら、りっぱだろう、羨ましいだろう、お前は、痛いだろう、苦しいだろう、・・・、うまいなあ、まずいなあ、楽しいなあ、苦しいなあ、痛い、楽だ、・・・。

もの知らぬ動物が、鏡の前で、そこに映る自分の姿を他者だと思い込んで、おどけているのと、同じなのに。

その興奮がたまらない。実体としての他者としていてくれることで、怒りの対象、愛の対象、悲しみの対象、・・・、と、その選択と自由とで、アドレナリンの血がさわぐ。

実体とは何だ。ただ、”今、ここ”、で、記憶を選択しているだけ、なのに。

この世界が記憶以外の何かであることを証明しなさい。もしそれが出来なければ、そして、記憶とそれ以外(例えば、実体と称するもの)とを対立的に考えるならば、この世界が記憶であることとないこと(実体)とが同等の確からしさ。しかし、それを認めたがらないのは、ぼくに対する、私の自由の謀(たばか)り。

無限に切り分けることが出来るということは、無限に小さいもの(宇宙)に、無限に大きなもの(宇宙)が納まるということ。つまり、宇宙は無限に大きく、無限に小さい。つまり、それは記憶の属性であり、それは、記憶。 ”今、ここ”、の、私の宇宙は、ぼくの私の記憶であり、その選択であり、その記憶の住所は、”今、ここ”、のみであり、それを、”空”、といい、本有(ほんぬ)のもの。

こうありたい、という、ぼくの私の目的が、”今、ここ”、で、すでに完結していれば、”今、ここ”、の記憶のすべてがその実存をすべてすでに完結していて、すべてすでにあるもの、つまり本有(ほんぬ)のもの。

しかし、それを認めたがらないのは、ぼくに対する、私の自由の謀(たばか)り。

殺すのも、私。殺されるのも、私。

核のボタンを押すのも、私。その核でむごたらしく死ぬのも、私。

その苦は、私の苦。その楽は、私の楽。

(2012.04.21)
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