appeal

それは天罰というものですか?

.


いいえ、天罰ではありません。天罰という言葉を使うとき、人の私はその能動者である神や自然を人の私とはまったく異なる超越した他者と見て、その超越した他者が人の私を裁くと考えます。つまり、その人の私は、他者の私の星の相を見ているように、自分の生を相として見ている、という認識がない私であり、自然の私、地球の私、他者の私、が同じ私という普遍の私という概念のない私であり、その私が、まったく異なった違う存在として他者の相を見ている。実際はすべては内と外とを身体とする私という衣を纏(まと)った存在でありひとつのものであり記憶です。その同じ私が将来の私による私の破壊に対して怒り、警告している、というのが正しい見方です。

その警告とは?

将来の官僚主義の私の選択が、自由の私を破壊するということです。

具体的には?

.

その具体的な教訓を、今まさに日本の官僚主義が世界に示しています。世界はその教訓を真摯に学ばなければなりません。官僚主義が強固に支配する国家なり組織なりが、如何に、脆弱(ぜいじゃく)で、身勝手で、汚いか、まさに、”死ぬのは、奴らで、お金(名誉、名声、地位)は俺らのもの”、の典型を世界に見せつけています。

まったく、福島原発の事故、それ(3.11)以前から以後、今も進行中で、さらに将来にわたり行われるであろう、その事故だけに限らない、官僚主義による国家、組織の数々の不祥事、不手際は、人(ひと)、物(もの)、事(こと)、のすべてにわたってあきれるほどの想定外で、脆弱(ぜいじゃく)で、身勝手で、汚いものだ、ということですね。

ええ、・・

ぼくの星は、それで滅びました。

・・・







(2011.04.01)
next
back
index
home