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常識といえば、この世界が記憶だということも常識なんですか?
ええ、太陽のように明らかで、万有引力の法則のように、ごく当たり前の、強固で確実な、常識です。
やっぱり、痛みも苦しみも快楽も死も記憶ですか?
ええ、太陽のように明らかで、万有引力の法則のように、ごく当たり前の、強固で確実な、記憶です。
つまり、それを、極めて強固で確実な前提として、社会が成り立っていると・・・。
ええ、極めて強固で確実な前提として世界が成り立っています。
今、殺されている多くの私がいます。王子さまの星から見るとどう映りますか?
残念です。殺される私と殺す私、同じ私なんですが、その私も記憶で、その記憶の私をまとっているのがぼくの星のぼくだってことが、まだ常識になっていない。やっとぼくの記憶の世界の秘密がほんのちょっと垣間(かいま)見えたばかりで、ちょうどこの大地が丸いんじゃないかと疑いはじめたばかりのころのように。
すると、王子さまの星では、その記憶の世界のことや私の記憶のことが今よりもずっとわかっていると思うんですが、他者の私の星には住むことは出来ないんですか?
出来ません。ぼくはぼくという私ですから、ここでは便宜的にぼくという言葉を使っていますが、ぼくの私の私とは他者との分別しての私ですから、ぼくの私でいる限り、他者の私の星に住むことはできません。ただバーチャルが発達していますから確率的に高いバーチャルの他者の私の星に住むことはできますし、それを前提にお互いに通信し合っています。
他者の私の星に住むということは、他者の私の記憶を開くことですよね。記憶だから開くことが出来ると思うんですが?
先ほど言いました通り、ぼくの私でいる限り、他者の私の星に住むことはできません。
住む、つまり、他者の私の記憶そのものになる、というのでなく、その記憶を少しだけ断片だけでも思い出すように開けないものですか?
ぼくの私でいる限り、他者の私の星に住むことはできません。もし開くことが出来たと思ってもそれは結局あくまでも、”今、ここ”、の、ぼくの私の記憶です。”今、ここ”、で見えている他者の私の星は、あくまでも、”今、ここ”、の、ぼくの私の記憶としての他者の私の星の相を見ているだけであって、他者の私の星そのものは、それ自体であろうと、そのものであろうと、まったく別の違った他者の私の星の世界で、その本当のところは、他者の私、それ自体、或いは、そのもの、にならなければ見ることはできません。
つまり、確率でしかその確からしさを求められない、ということですね。
そうです。
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