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法華経の哲学者さん、こんにちわ!
やあ、こんにちわ!星の王子さま!
見宝塔品第十一で、その題目に、”宝塔を見る”、と、ありますが、その宝塔について、お聞かせいただけますか?
宝塔とは、新たな真理のことですが、ここで塔とあるように、対境としての意味をもっています。つまり、新たな真理の対境ということで、無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)の記憶を記録したものです。
つまり、無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)が書き残したパスワードということですか?
ええ、無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)の感動等を普遍の私の上に現出するパスワードです。
そのパスワード、つまりその対境とは、どういったものでしょう?
もう、すでに、お気づきかもしれませんが、それは、なにも特別なもの、なにか仕掛けのあるようなもの、ではありません。特別なもの、神秘的なもの、崇高なもの、黄金のように輝くもの、等、を、宝塔とするのは、より方便の教え、考え方で、実は、宝塔とは、”宝塔を見る”、と、あるように、あなたの私が、今、見ている、このページ全体が、宝塔です。
同じ品でその宝塔の大きさは広大とありますが、確かに、その大きさはインターネットの大きさですね。
すると、無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)の感動等というのは、・・・?
ええ、これも、なにも特別なものではなく、このページの文章や音楽や図や像などが、無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)が書き残した記憶そのものであり、それらに触れて、あなたの私がともに感動する、その瞬間が、仏界、であり、神の国、ということです。
では、他の本や、音楽や、宗教上の感動もですか?
ええ、それが、より無上の境涯の普遍の私(仏界の私)(相対の神)の感動によるものであれば、つまり、より善の普遍の私の感動によるものであれば、その境涯は、より仏界、であり、より神の国、ということになります。
すると、当然、その一瞬の、そのより悪の感動も、そのより悪の国、もあるということですね。
ええ、当然、その対境によって、白いものは白、赤いものは赤、と感じます。
その対境が、良いか悪いかを知るには、・・・?
先程も、お話ししたように、悪の選択に対しては、その選択する側の私が、より善であればあるほど、それを咎(とが)める声が、はっきりと聞こえます。
活字が嫌いな人、書物には縁のないと思っている人も、大勢いますが、・・・?
ええ、本などめったに読まない人もいるし、このページを読む人も、ごく限られ、さらに、理解し、選択し、実行する人(受持誓願の人)はまれです。多くの人は、生活人として煩雑な日常を生きています。その人たちのためには、別の方法を考えなければなりません。多くの言葉で説明するのではなく、少ない言葉で、一瞬でも見れるもので、一瞬でも聞けるもので、それを対境として、一瞬でも感じられるもの、を用意しなければなりません。それが広く高く大きくそびえる塔の、もう一つの意味です。またそれは、象徴としての意味をもっています。同じ品の中に、塔の中の釈迦如来と多宝如来の並座というのがあります。これは釈迦如来とは、仏教(より正統の)であり、多宝如来とは、他宗教(より正統の)であり、また、精神と物、一つと多、光と闇、知と境、等の象徴でもあり、それらの冥合の象徴でもあります。
いわゆる、本尊と呼ばれるものですね。
ええ、各宗教、思想、それぞれ、本尊と呼ばれるものをもっています。教義、理論の体系とその要(かなめ)となる題目、その象徴としての、図、像、等。
それらを対境として、それぞれの感動等を得るわけですね。
ええ、白いものは白、赤いものは赤、悪の破壊のものは、悪の破壊、と。
騙(だま)されて、変なものを本尊(対境)とするな、ということですね。
ええ、より方便の、わけのわからない(不合理な)神なり仏なりに下劣な欲が入り込み、盲目にされ、普遍の私の大事な決定権が奪われ、お金ばかりか、精神もおかしくされ、命まで奪われ、他の命まで奪う、危険なものもあります。
”さわらぬ神に、祟(たた)りなし”、ですね。
ええ、危ない宗教、思想、本尊(対境)には、深く立ち入るな、ということです。
それを見分けるのは、難しいと思うのですが。
ええ、騙(だま)される側の境涯にもよりますが、より善の普遍の私の声(感動、咎(とが)め、怒り、苦、恐れ)に耳をかたむけ、つまり、”その話はおかしい”、”不合理だ”、という声が聞こえたら、それ以上深く立ち入らないことです。
反対に、より善の普遍の私の声(感動、咎(とが)め、怒り、苦、恐れ)が、より感動し、より共鳴したものが、より善であり、より正しいもの、ということですね。
ええ、より善の普遍の私の声(感動、咎(とが)め、怒り、苦、恐れ)が、より感動し、より共鳴したものが、より善の、より正しい宗教、思想、本尊(対境)、ということになります。
ところで、肝心の、その本尊(対境)ですが、・・・。
このページ全体が、宝塔であり、本尊(対境)ですが、さらに、このページでも、意味、解釈が凝縮された短い言葉としての、法の名と、簡単な、図、像、音、風景、音楽、等、それぞれを、それぞれの境涯で、感じ取れるようにしています。
儀式とか作法とかは、ないんですか?
”宝塔を見る”、これだけです。
普及、誓願、とありますが?
ええ、より善の普遍の私の声(感動、咎(とが)め、怒り、苦、恐れ)に、ともに、感動し、共鳴する、あなたの私が、その宝塔(対境)になること、つまり、その、より善の普遍の私の声(感動、咎(とが)め、怒り、苦、恐れ)になることです。
その、より善の普遍の私自身の声に、まず、耳をかたむけなさい、ということですね。
ええ、主体は、あくまでも、普遍の私である、あなたの私、ですから。
(2008.10.27)
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