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”今月十五日[酉時(とりのとき)]、御文、同じき、十七日[酉時]、到来す。彼等、御勘気を蒙(こうむ)るの時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と、唱え奉ると、云云(うんぬん)。偏(ひとえ)に、只事(ただごと)に非ず。定めて、平(ひら)金吾(平左衛門頼綱)の身に、十羅刹(じゅうらせつ)、入り易(かわ)りて、法華経の行者を試みたもうか。例せば、雪山童子・尸毘王(しびおう)、等、の、如し。将(は)た又、悪鬼、其の身に入る者か。釈迦・多宝・十方の諸仏・梵帝(ぼんたい)、等、五五百歳の法華経の行者を、守護す可きの御誓は、是(これ)なり。大論に云く、「能(よ)く、毒を変じて薬と為す」。天台、云く、「毒を変じて薬と為す」、云云。妙の字、虚しからずんば、定めて、須臾(しゅゆ)に、賞罰、有らんか。
伯耆房(ほうきぼう)(日興)等、深く、此の旨を存じて、問注を遂(と)ぐ可し。平金吾に申す可き様は、文永の御勘気の時、聖人の仰せ、忘れ給うか。其の殃(わざわい)、未だ、畢(おわ)らず。重ねて、十羅刹の罰(十四年後、謀反の罪で、一家滅亡)を招き取るか。最後に申し付けよ。恐恐(きょうきょう)。

  (弘安二年)十月十七日、戌時(いぬのとき)                 日蓮在御判   

 この事、のぶるならば、此方には、とがなし、と、みな人、申すべし。又、大進房が落馬、あらわるべし。あらわれば、人人、ことに、おづ(畏)べし。天の御計らいなり。各(おのおの)には、おづる事なかれ。つよりもてゆかば、定めて子細、いできぬとおぼふるなり。今度(このたび)の使には、あわぢ房(日賢)を遣(つかわ)すべし。”

(聖人等御返事、編年体御書P1217、御書P1455)

(2005.07.30)
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