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”爰(ここ)に、或る智人来りて示して云(いわ)く、汝(なんじ)が歎く所、実に爾(しか)なり、此(か)くの如く無常のことはりを思い知り、善心を発す者は、麟角(りんかく)よりも希なり、此のことはりを覚(さと)らずして、悪心を発す者は、牛毛よりも多し、汝早く生死を離れ、菩提心を発さんと思はば、吾(われ)、最第一の法を知れり、志あらば汝が為に之を説いて聞かしめん、其の時、愚人座より起って、掌(たなごころ)を合せて云 く、我は日来(ひごろ)、外典を学し、風月に心をよせて、いまだ仏教と云う事を委細にしらず、願くば、上人、我が為に是を説き給へ、其の時、上人の云く、汝、耳を伶倫(れいりん)が耳に寄せ、目を離朱(りしゅ)が眼にかつて、心をしづめて我が教をきけ、汝が為に之を説かん、夫(そ)れ、仏教は八万の聖教、多けれども、諸宗の父母たる事、戒律にはしかず、されば、天竺(てんじく)には、世親(せしん)・馬鳴(めみょう)等の薩?(さった)・唐土には、慧曠(えこう)・道宣(どうせん)と云いし人・是を重んず、我が朝には、人皇四十五代、聖武天皇の御宇(ぎょう)に、鑒真(がんじん)和尚・此の宗と天台宗と両宗を渡して、東大寺の戒壇(かいだん)、之を立つ、爾(しか)しより已来(このかた)、当世に至るまで、崇重(すうちょう)年旧(としふ)り、尊貴、日に新たなり、就中(なかんずく)、極楽寺の良観上人は、上(かみ)一人より下(しも)万民に至るまで、生身の如来と是(これ)を仰ぎ奉る、彼の行儀を見るに、実に以て爾(しか)なり、飯嶋の津にて、六浦(むつら)の関米(せきまい)を取っては、諸国の道を作り、七道に木戸をかまへて、人別(にんべつ)の銭を取っては、諸河に橋を渡す、慈悲は如来に斉(ひと)しく、徳行は先達(せんだつ)に越えたり、汝(なんじ)、早く生死を離れんと思はば、五戒・二百五十戒を持ち、慈悲をふかくして、物の命を殺さずして、良観上人の如く、道を作り、橋を渡せ、是れ第一の法なり、汝、持(たも)たんや否や。
愚人、弥(いよいよ)、掌(たなごころ)を合せて云く、能く能く持ち奉らんと思ふ、具(つぶさ)に我が為に是を説き給へ、抑(そもそも)、五戒・二百五十戒と云う事は、我等、未だ存知せず、委細に是を示し給へ、智人云く、汝は無下に愚かなり、五戒・二百五十戒と云う事をば、孩児(おさなご)も是をしる、然(しか)れども、汝が為に之を説かん、五戒とは、一には、不殺生戒、二には、不偸盗(ちゅうとう)戒、三には、不妄語戒、四には、不邪淫戒、五には、不飲酒(おんじゅ)戒、是なり、二百五十戒の事は、多き 間、之を略す、其の時に、愚人・礼拝恭敬(くぎょう)して云く、我、今日より深く此の法を持(たも)ち奉(たてまつ)るべし。”

(2005.04.21)
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