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”問うて日(いわ)く、其(そ)の証拠、如何(いかん)、法華第五、涌出品(ゆしゅつぼん)に云(いわ)く、「爾(そ)の時に、他方の国土より、諸(もろもろ)の来れる菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)の八恒河沙(こうがしゃ)の数に過ぎたる、乃至(ないし)、爾の時に、仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止(や)みね、善男子。汝等が、此の経を護持せんことを、須(もち)いじ」、等、云云。天台、云く、「他方は、此の土、結縁(けちえん)の事、浅し。宣授せんと欲すと、雖(いえど)も、必ず、巨益(こやく)無し」、云云。妙楽、云く、「尚(なお)、偏(ひとえ)に、他方の菩薩に付せず。豈(あに)、独り、身子(舎利弗)のみならんや」、云云。又、云く、「告(ごう)八万大士とは、乃至(ないし)、今の下の文に、下方を召すが如く、尚(なお)、本眷属を待つ。験(あきらけ)し、余は、未(いま)だ、堪えざることを」、云云。経釈の心は、迦葉・舎利弗、等、の、一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒、等、の、迹化(しゃっけ)他方の諸大士は、末世の弘経(ぐきょう)に堪えず、と、云うなり。経に云く、「我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙(ごうがしゃ)等の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に、各六万恒河沙の眷属有り。是の諸人等、能(よ)く、我が滅後に於て、護持し、読誦し、広く此の経を説かん。仏、是(これ)を説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土、地、皆、震裂して、其の中より、無量千万億の菩薩摩訶薩有り。同時に涌出(ゆしゅつ)せり。乃至(ないし)、是の菩薩衆の中に、四たり導師有り。一をば、上行と名け、二をば、無辺行と名け、三をば、浄行と名け、四をば、安立行(あんりゅうぎょう)と名く。其の衆の中に於て、最も為(これ)、上首唱導の師なり」、等、云云。天台、云く、「是れ、我が弟子、応(まさ)に、我が法を弘むべし」、云云。妙楽、云く、「子、父の法を弘む」、云云。道暹(どうせん)、云く、「付属とは、此の経は、唯(ただ)、下方涌出の菩薩に付す。何が故に。爾(しか)る法、是れ、久成(くじょう)の法なるに由るが故に、久成(くじょう)の人に付す」、等、云云。此等の大菩薩、末法の衆生を利益したもうこと、猶(なお)、魚の水に練れ、鳥の天に自在なるが如し。濁悪(じょくあく)の衆生、此の大士に遇(あ)って、仏種を殖(う)うること、例せば、水精の、月に向って水を生じ、孔雀の、雷(いかずち)の声を聞いて懐妊するが如し。天台、云く、「猶(なお)、百川(ももかわ)の、海に潮(しお)すべきが如し。縁に牽(ひか)れて応生するも、亦復(またまた)、是くの如し」、云云。
慧日(えにち)大聖尊、仏眼を以(もっ)て、兼ねて之を鑒(かんが)みたもう故に、諸の大聖を捨棄(しゃき)し、此の四聖を召し出して、要法を伝え、末法の弘通(ぐずう)を定むるなり。問うて日く、要法の経文、如何。答えて日く、口伝を以て之を伝えん。釈尊、然後(そののち)、正像二千年の衆生の為に、宝塔より出でて、虚空(こくう)に住立(じゅうりゅう)し、右の手を以て、文殊・観音・梵帝・日月・四天、等、の、頂(いただき)を摩でて、是くの如く、三反して、法華経の要よりの外の、広・略、二門、並びに、前後の一代の一切経を、此等の大士に付属す。正像二千年の機の為なり。其の後、涅槃経の会(え)に至って、重ねて、法華経、並びに、前四味の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に、授与したもう。此等は?拾(くんじゅう)の遺属(いぞく)なり。
爰(ここ)を以て、滅後の弘経に於ても、仏の所属に随って、弘法(ぐほう)の限り有り。然(しか)れば、則(すなわ)ち、迦葉・阿難、等、は、一向に小乗経を弘通して、大乗経を申(の)べず。竜樹・無著、等、は、権大乗経を申べて、一乗経を弘通せず。設(たと)い、之を申(の)べしかども、纔(わず)かに以て、之を指示し、或は、迹門(しゃくもん)の一分のみ之を宣べて、全く、化道の始終を談ぜず。南岳・天台、等、は、観音・薬王、等、の、化身と為(し)て、小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近、等、悉(ことごと)く、之を宣べ、其の上に、已今当の三説を立てて、一代超過の由(よし)を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ、真丹(しんたん)の衆釈にも過ぎたり。旧訳(くやく)・新訳、の三蔵も、宛(あた)かも、此の師には及ばず。顕密二道の元祖も、敵対に非ず(出来ず)。然(しか)りと雖(いえど)も、広略を以て、本と為して、未だ、肝要に能(あた)わず。自身、之を存すと雖(いえど)も、敢(あえ)て、他伝に及ばず。此れ、偏(え)に、付属を重んぜしが故なり。伝教大師は、仏の滅後、一千八百年、像法の末に相当って、日本国に生れて、小乗・大乗・一乗、の諸戒、一一に之を分別し、梵網(ぼんもう)・瓔珞(ようらく)、の別受戒を以て、小乗の二百五十戒を破失し、又、法華・普賢、の円頓(えんどん)の大王の戒を以て、諸大乗経の臣民の戒を責め下す。此の大戒は、霊山(りょうぜん)八年を除いて、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に、未だ有らざる所の大戒場を、叡山に建立す。然(しか)る間、八宗、共に、偏執を倒し、一国を挙げて、弟子と為る。観勒(かんろく)の流の、三論・成実、道昭の渡せる、法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か、円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは、逆路(ぎゃくろ)の人なり。此の戒を信仰するは、伝教大師の門徒なり。日本一州、円機純一、朝野遠近(ちょうやおんごん)、同帰一乗、とは、是の謂(い)か。此の外は、漢土の三論宗の吉蔵大師、並びに、一百余人、法相宗の慈恩大師、華厳宗の、法蔵・澄観、真言宗の、善無畏・金剛智・不空・慧果、日本の、弘法・慈覚、等、の、三蔵の諸師は、四依の大士に非ざる、暗師なり、愚人なり。経に於ては、大小・権実、の、旨(むね)を弁えず、顕密両道の趣を知らず、論に於ては、通申(つうしん)と別申(べっしん)とを糾(ただ)さず、申と不申とを暁(あきら)めず。然(しか)りと雖(いえど)も、彼の宗宗の末学等、此の諸師を崇敬して、之を聖人と号し、之を国師と尊(たっと)ぶ。今、先(ま)ず、一を挙げんに、万を察せよ。
弘法大師の、十住心論・秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)・二教論、等、に、云く、「此くの如き、乗乗自乗に名を得れども、後に望めば戯論(けろん)と作(な)る」。又、云く、「無明の辺域」。又、云く、「震旦の人師等、諍(あらそ)って、(六波羅蜜経の)醍醐(だいご)を盗み、各(おのおの)、自宗に名く」、等、云云。釈の心は、法華の大法を、華厳と大日経とに対して、戯論(けろん)の法と蔑(あなず)り、無明の辺域と下し、剰(あまつさ)え、震旦一国の諸師を、盗人(ぬすびと)と罵(ののし)る。此れ等の謗法、謗人は、慈恩・得一、の、三乗真実・一乗方便、の誑言(おうごん)にも超過し、善導・法然、が、千中無一・捨閉閣抛(しゃへいかくほう)、の過言にも、雲泥せるなり。六波羅蜜経をば、唐(618-907)の末に、不空三蔵、月氏より之を渡す。後漢(25-220) より、唐の始めに至るまで、未だ、此の経、有らず。南三北七(中国、南北朝時代(440-589)の仏教宗派)の碩徳(せきとく)、未だ、此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳、の、人師、誰人か、彼の経の醍醐を盗まんや。又、彼の経の中に、法華経は醍醐に非ず、というの文、之、有りや、不や。而(しか)るに、日本国の東寺の門人等、堅く之を信じて、種種に僻見(びゃっけん)を起し、非より非を増し、暗より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。”

(2005.06.25)
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