appeal

”八木(こめ)、三石(こく)、送り給い候。今、一乗、妙法蓮華経、の御宝前に、備へ奉りて、南無妙法蓮華経、と、只、一遍、唱えまいらせ候い畢(おわ)んぬ。いとをしみの御子を、霊山浄土へ、「決定無有疑」、と、送りまいらせんがためなり。
抑(そもそも)、因果のことはりは、華(はな)と果(このみ)との如し。千里の野の枯れたる草に、螢火の如くなる火を一つ付けぬれば、須臾(しゅゆ)に、一草・二草・十・百・千万草、に、つきわたりて、もゆれば、十町・二十町、の草木、一時にやけつきぬ。竜は、一驕iしずく)の水を手に入れて、天に昇りぬれば、三千世界に雨をふらし候。小善なれども、法華経に供養しまいらせ給いぬれば、功徳、此くの如し。仏滅後、一百年と申せしに、月氏国に、阿育(あそか)大王と申せし王、ましましき。一閻浮提(いちえんぶだい)、八万四千の国を四分が一、御知行ありき。竜王をしたがへ、鬼神を召し仕はせ給う。六万の羅漢を師として、八万四千の石塔を立て、十万億の金を仏に供養し奉らんと誓はせ給いき。かかる大王にてをはせし、其の因位の功徳をたづぬれば、ただ、土の餅、一(ひとつ)、釈迦仏に供養し奉りし故ぞかし。釈迦仏の伯父(おじ)に、斛飯(こくぼん)王と申す王、をはします。彼の王に太子あり、阿那律(あなりつ)となづく。此の太子、生れ給いしに、御器(ごき)、一つ持ち出でたり。彼の御器に飯あり。食すれば、又、出でき、又、出でき、終(つい)に、飯、つくる事なし。故に、かの太子のをさな名をば、如意となづけたり。法華経にて、仏に成り給ふ、普明如来、是なり。此の太子の因位を尋ぬれば、うへたる世に、ひえの飯を、辟支仏(ひゃくしぶつ)と申す僧に、供養せし故ぞかし。辟支仏を供養する功徳すら此くの如し、況(いわん)や、法華経の行者を供養せん功徳は、無量無辺の仏を供養し進(まい)らする功徳にも、勝れて候なり。
抑(そもそも)、日蓮は、日本国の者なり。此の国は、南閻浮提、七千由旬の内に、八万四千の国あり。十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散(ぞくさん)国あり。其の中に、月氏国と申す国は、大国なり。彼の国に、五天竺あり。其れより東海の中に、小島あり。日本国、是なり。中天竺よりは、十万余里の東なり。仏教は、仏滅度後、正法一千年が間は、天竺にとどまりて、余国にわたらず。正法一千年の末、像法に入って、一十五年と申せしに、漢土へ渡る。漢土に三百年すぎて、百済(くだら)国に渡る。百済国に一百年已上、一千四百十五年と申せしに、人王三十代、欽明天皇の御代に、日本国に始めて、釈迦仏の金銅の像と一切経は、渡りて候いき。今、七百余年に及び候。其の間、一切経は、五千余巻、或は、七千余巻なり。宗は、八宗・九宗・十宗、なり。国は、六十六箇国、二つの島、神は、三千余社、仏は、一万余寺なり。男女よりも、僧尼は、半分に及べり。仏法の繁昌は、漢土にも勝れ、天竺にもまされり。
但(ただ)し、仏法に入って、諍論(じょうろん)あり。浄土宗の人人は、阿弥陀仏を本尊とし、真言の人人は、大日如来を本尊とす。禅宗の人人は、経と仏とをば閣(さしお)いて、達磨を本尊とす。余宗の人人は、念仏者・真言、等、に、随へられ、何(いず)れともなけれども、つよきに随ひ、多分に押されて、阿弥陀仏を本尊とせり。現在の、主・師・親、たる釈迦仏を閣(さしお)きて、他人たる、阿弥陀仏の十万億の他国へ、にげ行くべきよしを、ねがはせ給い候。阿弥陀仏は、親ならず、主ならず、師ならず。されば、一経の内、虚言(そらごと)の四十八願を立て給いたりしを、愚なる人人、実と思いて、物狂はしく、金拍子をたたき、おどり、はねて、念仏を申し、親の国をば、いとひ、出でぬ。来迎せんと約束せし、阿弥陀仏の約束の、人は来らず、中有のたびの、空に迷いて、謗法の業にひかれて、三悪道と申す獄屋へ、おもむけば、獄卒・阿防(あぼう)・羅刹(らせつ)、悦びをなし、とらへからめて、さひなむ事、限りなし。これを、あらあら経文に任せて、かたり申せば、日本国の男女、四十九億九万四千八百二十八人ましますが、某(それがし)一人を、不思議なる者に思いて、余の四十九億九万四千八百二十七人は、皆、敵と成りて、主・師・親、の釈尊をもちひぬだに、不思議なるに、かへりて、或は、のり、或は、うち、或は、処を追ひ、或は、讒言(ざんげん)して、流罪し、死罪に行はるれば、貧なる者は、富めるをへつらひ、賎き者は、貴きを仰ぎ、無勢は、多勢にしたがう事なれば、適(たまたま)、法華経を信ずる様なる人人も、世間をはばかり、人を恐れて、多分は、地獄へ堕つる事、不便なり。但(ただ)し、日蓮が愚眼にてやあるらん、又、宿習にてや候らん。「法華経最第一・已今当説・難信難解・唯我一人・能為救護」、と、説かれて候文は、如来の金言なり。敢(あえ)て、私の言にはあらず。当世の人は、人師の言を、如来の金言と打ち思ひ、或は、法華経に肩を並べて、斉(ひと)しと思ひ、或は、勝れたり、或は、劣るなれども機にかなへり、と、思へり。しかるに、如来の聖教に、随他意・随自意、と申す事あり。譬えば、子の心に親の随うをば、随他意と申す。親の心に子の随うをば、随自意と申す。諸経は、随他意なり。仏、一切衆生の心に随ひ給ふ故に。法華経は、随自意なり。一切衆生を、仏の心に随へたり。諸経は、仏説なれども、是を信ずれば、衆生の心にて、永く仏にならず。法華経は、仏説なり、仏智なり。一字一点も、是を深く信ずれば、我が身、即仏となる。譬えば、白紙を墨に染むれば、黒くなり、黒漆に、白き物を入るれば、白くなるが如し。毒薬、変じて、薬となり、衆生、変じて、仏となる故に、妙法と申す。然るに、今の人人は、高きも賎きも、現在の父たる釈迦仏をば、かろしめて、他人の縁なき、阿弥陀・大日、等、を、重んじ奉るは、是れ、不孝の失(とが)にあらずや。是れ、謗法(ほうぼう)の人にあらずや、と、申せば、日本国の人、一同に、怨(あだ)ませ給うなり。其れも、ことはりなり。まがれる木は、すなをなる繩をにくみ、いつはれる者は、ただしき政りごとをば、心にあはず、思うなり。
我が朝、人王九十一代の間に、謀叛(むほん)の人人は、二十六人なり。所謂(いわゆる)、大山の王子・大石の小丸、乃至(ないし)、将門(まさかど)・すみとも・悪左府(あくさふ)、等、なり。此等の人人は、吉野、とつ河の山林にこもり、筑紫・鎮西、の海中に隠るれば、島島のえびす、浦浦のもののふども、うたんとす。然れども、それは、貴き聖人、山山・寺寺・社社、の、法師・尼・女人、は、いたう敵と思う事なし。日蓮をば、上下の、男女・尼法師・貴き聖人、なんど、伝はるる人人は、殊に敵となり候。其の故は、いづれも、後生をば願へども、男女よりは僧尼こそ、願ふ由はみえ候へ。彼等は、往生はさてをきぬ、今生の世をわたる、なかだちとなる故なり。智者・聖人、又、我好(われよし)我勝(われすぐれ)たり、と、申し、本師の跡と申し、所領と申し、名聞利養を重くして、まめやかに、道心は軽し、仏法は、ひがさまに心得て、愚癡の人なり、謗法の人なり、と、言をも惜まず、人をも憚(はばか)らず、「当知是人・仏法中怨」、の、金言を恐れて、「我是世尊使・処衆無所畏」、と、云う文に任せて、いたくせむる間、「未得謂為得・我慢心充満」、の、人人、争(いかで)か、にくみ、嫉(ねた)まざらんや。
されば、日蓮程、天神七代・地神五代・人王九十余代、に、いまだ、此れ程、法華経の故に、三類の敵人に、あだまれたる者なきなり。かかる、上下万人一同のにくまれ者にて候に、此れまで御渡り候いし事、おぼろげの縁にはあらず。宿世の父母か昔の兄弟にておはしける故に、思い付かせ給うか。又、過去に、法華経の縁深くして、今度(このたび)、仏にならせ給うべきたねの、熟せるかの故に、在俗の身として、世間ひまなき人の、公事のひまに、思い出ださせ給いけるやらん。
其の上、遠江の国より、甲州、波木井(はきり)の郷、身延山へは、道、三百余里に及べり。宿宿のいぶせさ嶺に昇れば、日月をいただき、谷へ下れば、穴へ入るかと覚ゆ。河の水は、矢を射るが如く早し。大石ながれて、人馬むかひ難し。船あやうくして、紙を水にひたせるが如し。男は山かつ、女は山母(やまうば)の如し。道は縄の如くほそく、木は草の如くしげし。かかる所へ尋ね入らせ給いて候事、何なる宿習なるらん。釈迦仏は、御手を引き、帝釈は、馬となり、梵王は、身に随ひ、日月は、眼となりかはらせ給いて、入らせ給いけるにや。ありがたし、ありがたし。事、多しと申せども、此の程、風おこりて、身、苦しく候間、留め候い畢(おわ)んぬ。
 弘安二年、己卯(つちのとう)、五月二日                        日蓮花押

(新池殿御消息、編年体御書P1184、御書P1435)

(2005.07.25)
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