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偏狭の”神”、をかざし、聖域に土足で踏み込んだイスラエルの政治家の背中には、 ”アウシュビッツは正しく、ヒトラーは英雄だ!”、と書かれていている。
そして、その愚人の愚行が今日の大惨事の、 大破壊の、”口火”、となったのであり、

同じく、偏狭の”神”(靖国の神、国家神道の神)、をかざし、聖域に土足で踏み込んだ日本の政治家の背中には、 ”広島、長崎の原爆は正義だ!”、と書かれている。
そして、その愚人の愚行が、今日の大惨事の、大破壊の、”引き金”、となったのであり、

いずれも、”鏡”、があるのに、その”鏡”、を取らず、使わず、 背中の”文字”、を見ることも出来ず、自分自身の愚人、愚行の程度がわからず、このような”大破壊”、を出現させ、 さらなる”大破壊”、を出現させようとしている。

そして、アメリカの政治家の背中には、・・・。

それでも、政治家のそれは、”口火”、や”引き金”、程度だが、 宗教指導者(思想の指導者)のそれは、その大元の”大破壊”、 そのものを抱えていて(人々の精神を歪め、真理を歪めて見させ)、世界を抹殺しかねない。

だから、過去の賢人たちは、宗教(思想)の絶対的権力者(人間の”私”を絶対化して他者を支配しようとする権力者)と、それに盲目的に無批判的に従う人々とをきつく戒めている。

”絶対者”は、法則(真理)であって、その定義から絶対的に信じられる対象はその”絶対者”であり、 人間(生命)は、”相対者”であって、相対的にしか信じられない(物理的にも精神的にも一瞬一瞬変化するものであり、ある時のあるところは信じられ、ある時のあるところは信じられない)対象であるから、人間の”私”を絶対的に信じさせようとする絶対的権力者を(特に宗教のそれは絶対的に)信じるな、と。

ブリューゲルの絵に、「盲人に導かれる盲人の寓話」、というのがある。 一連の盲人達がそれぞれの杖と肩とに捉まって数珠つながりに歩いていて、 先頭(指導者)の盲人はすでに目の前の小川(破壊)に嵌まって転倒しているのに、 次の盲人は前で何が起きているのかわからず、後に続く盲人達も、その先は小川(破壊)でしかないことに気が付かないでいる。 画家は、”危ない!”、と叫んでいるけれども、誰一人、耳をかさずに、 無理解のまま不遇に甘んじ助けられないでいる。

目の見える善に力なく、盲目の愚人(悪)に力あれば、どうしてその”破壊”、を妨げよう。

善が、悪に化粧され、笑いものにされ、からかわれ、侮られ、傷つけられて、 悪が助長されて、どうしてその”破壊”、を防げよう。

転倒の世界の出現は、”成、住、壊、空”、の”壊”、にさしかかっているのであり、 このまま、この転倒の世界が転倒し続ければ、 確実に、善も悪もその先の小川(破壊)に転倒し、 間違いなく、意志する破壊者(盲目の愚人)の意志する破壊の世界が出現するだろう。

(2001.10.12)
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