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森で

タン、タ、タン。
タン、タン、タン。

タン、タ、タン。
タン、タン、タン。

タン、タ、タン。
タン、タン、タン。

タン、タ、タン。
タン、タン、タン。

タン、タ、タン。
タン、タン、タン。













タン、タ、タン。
タン、タン、タン。



ヒトラーは、国民の絶大な人気と支持とで独裁者となり、
破壊の独裁者の代名詞となった。

しかし、すでにヒトラーを学んだものが、
ヒトラーの過ちを再び繰り返すことがない以上に
すでにヒトラーであった”私”が、
またヒトラーの”私”でありたいとは思わないだろう。

21世紀の”私”は、21世紀の”私”としての”私”であり、
その”私”の改革は、21世紀の”私”としての改革であり、
その根底には、
これまでにないより普遍のものを置き、
そのより普遍のものとは、
最善の”真理”であって、
その最善の”真理”の最善の姿は、
小愛でない”大愛”であり、小義でない”大義”であり、小慈悲でない”大慈悲”である。

すでにそれに目覚めた隣国は着実に進化し続け、
その北の同胞もそれに目覚め、
いづれ悪いものを捨て良いものを取り入れ統一して輝かしい文化を築くだろうし、
さらにその隣の大国もそれに目覚めそれを捨てそれを取り入れ、
大地のような堅固な精神性の上に、これもまた輝かしい文化を築くだろう。

その南の国々も、そのより北の国々も、
その東の国々も、そのより西の国々も、
その地球の反対側の国々も、
そしてかって暗黒といわれた大陸の国々も

それに目覚めそれを捨てそれを取り入れ、
同じく大地のような堅固な精神性の上に、これもまた輝かしい文化を築くだろう。

ただ、かっての驕れる国々と
過去の教訓を生かせず、悪いものを残したまま、良いものを取り入れず、
過去の泥沼をふたたび繰り返えそうとする国々と
ひとり、傲慢の、”けじめ”のない、”義”のすたれた黄昏のまほろばの国は、
それまでの償い、報いよろしく、 精神的にも物質的にもみすぼらしい自虐的最貧国になるだろう。

この森の祭壇には、
より下にはより責任のある人々が、
より上にはより責任のない人々が、
そして、さらにその上には無数の生命たちが連なってる。

”おーい! 水島! 一緒に日本へ帰ろうよ。
おーい! 水島! 一緒に日本へ帰ろうよ。

いや、私はここに残ります。
この人たちと一緒にここに残ります。”

水島さん! その肩のオオム、よく喋りますね。
終わりのほうはあまりよく聞き取れないんですが、...。

ええ、私の戦友が一生懸命仕込んだようです、...。

水島さん! あなたとお話するとみんな死んだようになるというのはほんとですか。

ええ、ほんとうです。

水島さん! どうしてあなたとお話するとみんな死んだようになるのですか。

それは、あなたがたがそう望んでいるからです。

私達がそう望んでいる?

あなたがたがそう望んで自分で”けじめ”をつけたのです。

私達が自分で”けじめ”をつけた?

人間の知恵がそうさせるのです。
”けじめ”をつけなければ、人間は、いつまでもその”苦”から逃れられないのです。

この場合の”けじめ”というのは善悪に対してですよね。

そうです。

すると、悪いことをしたという意識がなければ、”けじめ”のつけようがないと思うのですが。

そう、悪いことをしたという意識がないために、”けじめ”がつけられない人間がいる。

悪いことをしたという意識がないために、”苦”もない?

いいえ。そうはいかなく、善悪は人間の分別であり、
悪いことをしたのに、悪いことをしたという意識がないということは、
その人間にとって人間としての精神性の破壊ですから人間であろうとすれば、
人間としての”苦”を伴います。

でも、悪いことをしたという意識がないのなら、それが悪いことだと何が判断するのですか?

悪いことをしたその人間の心が深いところで判断しています。

精神が異常でもですか?

人間の心の深いところは、海の深いところと同じように穏やかで、
生命としての無限の広がりがあります。

その辺のところは、今の私の理解の範囲を超えていますが...。

ところで、先ほどの、人間であろうとすれば、人間としての”苦”を伴うということなら
人間であろうとしなければ、人間としての”苦”はないということですか?

ええ、そのかわり、より動物的な苦楽の世界に住むことになります。

動物的な苦楽の世界?

おもに食欲と性欲の支配する苦楽の世界。
外観は人間だけれども精神はその動物的な苦楽の世界に住むことになります。

その動物的な苦楽の世界の方が楽そうですが?

そう、動物や動物のような状態(戦闘時や精神異常時、等)であれば、
動物的な苦楽の世界の方が楽ですが、
人間であろうとすれば人間としての”苦”を伴います。

その人間であることを放棄したら...?

人間であることを放棄し、動物的な苦楽の世界に住み続ければ、
人間の外観である必要はなくなり、
エントロピー的に進化します。

エントロピー的に進化?

物質的、エネルギー的により安定な平衡状態へと変化(変容)します。
丁度、水がある圧力で、ある温度以上では、気体であることがよりエントロピーが大であり、
逆に、ある圧力で、ある温度以下では、固体であることがよりエントロピーが大であるようなもので、
つまり、生命の進化の逆をたどることになります。

退化ということですね。
すると、物質から見れば、人間は、物質的、エネルギー的に不安定に進化することによって、
より、精神的な自由を得ていると。

そうです。
生命は、その繰り返しを利用しながら、物質から見れば、より不安定に進化し、
精神から見れば、より安定した精神的な自由を得ているのです。

その進化を促すものは?

その進化を促すものは、
真に自由であろうと理念する創造する意志であり、
その意志する人間の”私”です。

すると、
真に自由であろうと理念する創造する意志の人間の”私”が、
より真に自由であろうとするが故に、
悪には、”苦”をもって、”けじめ”をつけさせようとしているということになるのですね。

そうです。
真に自由であろうと理念する創造する意志の人間の”私”が、
より真に自由であろうとするが故に、
破壊(悪)には”苦”をもって、創造(善)には”楽”(歓喜)をもって、
”けじめ”をつけさせようとしているのです。

今までの長い苦しみには、ちゃんとした理由があったのですね。

そうです。

人間の”私”が人間でなくなれば、その”私”を支えている環境(身体)もすべて
そのように変化してしまうということを、”苦”をもって教えようとしていたのですね。

そうです。

私は、まだ人間でありたいと叫んでいたのですね。

そうです。

よくわかりました。

これで胸のつかえが取れました。

これからは、私も、
人間として、

意志する人間の”私”として、

自己の罪を清算し、

破壊(悪)の”苦”には、創造(善)の”歓喜”をもって贖ってまいります。

ありがとうございました。

(2001.07.06)
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