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”態(わざ)と、申さしめんと欲し候の処、この便宜(びんぎ)候の間、悦び入り候。今年は、聖人の御第三年に成らせ給い候いつるに、身労、なのめ(斜)に候はば、何方(いずかた)へも、参り合せ進(まい)らせて、御仏事をも、諸共(もろとも)に、相たしなみ(嗜)進らすべく候いつるに、所労と申し、又、一方ならざる御事と申し、何方(いずかた)にも、参り合せ進(まい)らさず候いつる事、恐入り候上、嘆き存じ候。 抑(そもそも)、代も替りて候、聖人より後(のち)も、三年は、過ぎ行き候に、安国論の事、御沙汰(ごさた)、何様(いかよう)なるべく候らん。鎌倉には、定めて、御さわぐり(詮議)候らめども、是(こ)れは、参りて、此の度(たび)の御世間、承(うけたまわ)らず候に、当今も、身の術(すべ)なきまま、はたら(働)かず候へば、仰せを蒙(こうむ)ることも候はず、万事、暗暗と、覚え候。此の秋より、随分、寂日房と申し談じ候いて、御辺へ、参らすべく候いつるに、其れも叶(かな)わず候。何事よりも、身延沢の御墓の荒はて候いて、鹿かせきの蹄(ひづめ)に、親(まのあた)り、懸(かか)らせ給い候事、目も当てられぬ事に候。地頭の不法ならん時は、我も住むまじき由(よし)、御遺言には承り候へども、不法の色も見えず候。
其の上、聖人は、日本国中に、我を待つ人、無かりつるに、此の殿ばかりあり。然(しか)れば、墓をせんにも、国主、用(もち)いん程は、尚(なお)、難くこそ有らんずれば、いかにも、此の人の所領に、臥(ふ)すべき御状候いし事、日興の賜(たまわ)ってこそ、あそばされてこそ、候いしか。是れは、後代まで、定めさせ給いて候を、彼には、住せ給い候はぬ義を立て候はん。如何が有るべく候らん。所詮、縦(たと)い、地頭、不法に候はば、昵(なず)んで候なん。争(いか)でか、御墓をば、捨て進らせ候はん、と、こそ覚え候。師を捨つべからずと申す法門を立てながら、忽(たちま)ちに、本師を捨て奉り候はん事、大方、世間の俗難に術(すべ)なく覚え候。此くの如き子細も、如何がと、承り度く候。波木井(はきり)殿も見参(げざん)に入り進らせ、かたら(語)ひ給い候。如何が、御計らい、渡らせ給い候べき。委細の旨は、越後公に申さしめ候い了(おわ)んぬ。若し、日興等が、心を兼ねて、知(しろ)し食(め)す事、渡らせ給うべからず。其の様、誓状を以て、真実、知者のほしく(欲)渡らせ拾い侯事、越後公に申さしめ候い畢(おわ)んぬ。波木井殿も、同じ事にをはしまし侯。さればとて、老僧達の御事を、愚かに思い進らせ侯事は、法華経も御知見侯へ。地頭と申し、某(それがし)等と申し、努努(ゆめゆめ)、無き事に侯。今も、御不審、免れ侯へば、悦び入り侯の由、地頭も申され侯。某等も、存じ侯。其の旨、さこそ、御存知、わたらせ給い侯らん。(聞こし)めして侯へば、白地(あからさま)に侯様にて、御墓へ御入堂侯はん事、苦しく侯はじと覚え侯。当時こそ、寒気の比(ころ)にて、侯へば、叶わず候とも、明年二月の末、三月のあはい(間)に、あたみ(熱海)湯治の次(つ)いでには、如何が有るべく侯らん。越後房の私文には、苦しからず候、委細に承り候はば、先(ま)づ、力付き候はんと、波木井殿も仰せ侯なり。いかにも、御文には尽し難く候て、併(しかしなが)ら、省略候い畢んぬ。恐恐謹首。

  弘安七年、甲申(きのえさる)、十月十八日

                                          僧 日興 判

     進上 美作(みまさか)公御房御返事

(美作房御返事、編年体御書P1729)

(2005.08.12)
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