appeal

”問うて云く、弘法大師の心経の秘鍵(ひけん)に云く、「時に、弘仁九年の春、天下、大疫(たいえき)す。爰(ここ)に、皇帝自ら、黄金を筆端(ひったん)に染め、紺紙(こんし)を爪掌(そうしょう)に握りて、般若心経一巻を書写し奉(たてまつ)り給う。予(よ)、講読(こうどく)の撰(せん)に範(のっと)りて、経旨(きょうし)の宗を綴(つづ)る。未(いま)だ、結願(けちがん)の詞(ことば)を吐(は)かざるに、蘇生(そせい)の族(やから)、途(みち)に彳(たたず)む。夜、変じて、而(しか)も、日光、赫赫(かっかく)たり。是(こ)れ、愚身の戒徳に非ず。金輪(こんりん)、御信力の所為(そい)なり。但(ただ)し、神舎(しんじゃ)に詣(もう)でん輩(ともがら)は、此の秘鍵(ひけん)を誦(じゅ)し奉れ。昔、予(よ)、鷲峰(じゅぶ)説法の筵(むしろ)に陪(ばい)して、親(まのあた)り、其の深文(じんもん)を聞きたてまつる。豈(あに)、其の義に達せざらんや」、等、云云。又、孔雀(くじゃく)経の音義(おんぎ)に云く、「弘法大師、帰朝の後、真言宗を立てんと欲し、諸宗を朝廷に群集す。即身成仏の義を疑う。大師、智拳(ちけん)の印を結びて、南方に向うに、面門、俄(にわか)に開いて、金色の毘盧遮那(びるしゃな)と成り、即便(すなわち)、本体に還帰(げんき)す。入我我入の事、即身頓証(とんしょう)の疑い、此の日、釈然(しゃくねん)たり。然(しか)るに、真言・瑜伽(ゆが)、の、宗、秘密曼荼羅の道、彼の時より建立(こんりゅう)しぬ」、と。又、云く、「此の時に、諸宗の学徒、大師に帰して、始めて真言を得て、請益(しょうやく)し、習学す。三論の道昌(どうしょう)・法相(ほっそう)の源仁(げんにん)・華厳の道雄(どうおう)・天台の円澄(えんちょう)、等、皆、其の類(たぐい)なり」、と。弘法大師の伝に云く、「帰朝泛舟(きちょうはんしゅう)の日、発願(ほつがん)して云く、我が所学の教法、若(も)し、感応(かんのう)の地、有らば、此の三鈷(さんこ)、其の処(ところ)に、到るべし。仍(よっ)て、日本の方(かた)に向て、三鈷(さんこ)を抛(なげ)上(あ)ぐ。遥(はる)かに飛んで、雲に入る。十月に帰朝す」、云云。又、云く、「高野山の下(ふもと)に、入定(にゅうじょう)の所を占(し)む。乃至(ないし)、彼の海上の三鈷(さんこ)、今、新たに、此に在り」、等、云云。此の大師の徳、無量なり。其の両三を示す。かくのごとくの大徳あり。いかんが、此の人を信ぜずして、かへりて、阿鼻地獄に堕(お)つるといはんや。
答えて云く、予(よ)も、仰いで信じ奉る事、かくのごとし。但(ただ)、古(いにしえ)の人人も、不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は、其(そ)れにはよらず。外道(げどう)が、或(あるい)は、恒河(こうが)を耳に十二年留め、或は、大海をすひほし、或は、日月を手ににぎり、或は、釈子を牛羊(ぎゅうよう)となしなんどせしかども、いよいよ大慢ををこして、生死(しょうじ)の業(ごう)とこそなりしか。此れをば天台云く、「名利(みょうり)を邀(もと)め、見愛(けんない)を増す」、とこそ、釈せられて候へ。光宅(こうたく)が忽(たちま)ちに、雨を下(ふ)らし、須臾(しゅゆ)に花をさかせしをも、妙楽は、「感応(かんのう)、此(か)の如くなれども、猶(なお)、理に称(かな)わず」、とこそかかれて候へ。されば、天台大師の法華経をよみて、須臾(しゅゆ)に甘雨を下(ふ)らせ、伝教大師の三日が内に、甘露(かんろ)の雨をふらしておはせしも、其れをもって、仏意(ぶっち)に叶(かな)うとはをほせられず。弘法大師、いかなる徳ましますとも、法華経を戯論(けろん)の法と定め、釈迦仏を無明(むみょう)の辺域とかかせ給へる御ふでは、智慧かしこからん人は、用ゆべからず。いかにいわうや、上(かみ)にあげられて候、徳どもは不審(ふしん)ある事なり。「弘仁九年の春、天下、大疫(たいえき)」、等、云云。春は九十日、何(いず)れの月、何の日ぞ、是(これ)一。又、弘仁九年には、大疫ありけるか、是二。又、「夜、変じて、日光、赫赫(かっかく)たり」、と、云云。此の事、第一の大事なり。弘仁九年は、嵯峨(さが)天皇の御宇(ぎょう)なり。左史右史(さしうし)の記に載せたりや、是三。設(たと)い、載せたりとも、信じがたき事なり。成劫(じょうこう)二十劫・住劫(じゅうこう)九劫、已上(いじょう)、二十九劫が間に、いまだ無き天変なり。夜中に日輪の出現せる事、如何(いかん)。又、如来一代の聖教(しょうきょう)にもみへず。未来に、夜中に日輪出(い)ずべしとは、三皇・五帝、の、三墳・五典、にも、載せず。仏経のごときんば、壊劫(えこう)にこそ、二の日、三の日、乃至(ないし)、七の日は、出ずべしとは見えたれども、かれは昼のことぞかし。夜、日、出現せば、東西北の三方は如何(いかん)。設(たと)い、内外の典に記せずとも、現に、弘仁九年の春、何(いず)れの月、何れの日、何れの夜の、何れの時に、日出ずるという。公家(くげ)・諸家・叡山(えいざん)、等、の、日記、あるならば、すこし信ずるへんもや。次下(つぎしも)に、「昔、予(よ)、鷲峰(じゅぶ)説法の筵(むしろ)に陪(ばい)して、親(まのあた)り、其の深文(じんもん)を聞く」、等、云云。此の筆を、人に信ぜさせしめんがために、かまへ出だす、大妄語か。されば、霊山にして法華は、戯論(けろん)、大日経は、真実、と、仏の説き給けるを、阿難・文殊、が、?(あやま)りて、妙法華経をば、真実、と、かけるか、いかん。いうにかいなき、婬女(いんにょ)・破戒の法師、等、が、歌をよみて、雨(ふら)す雨を、三七日まで下(ふら)さざりし人は、かかる徳あるべしや、是四。孔雀(くじゃく)経の音義(おんぎ)に云く、「大師、智拳(ちけん)の印を結んで、南方に向うに、面門(めんもん)俄(にわか)に開いて、金色(こんじき)の毘盧遮那(びるしゃな)と成る」、等、云云。此れ。又、何(いず)れの王、何れの年時ぞ。漢土には建元を初とし、日本には大宝を初として、緇素(しそ)の日記、大事には必ず年号のあるが、これほどの大事に、いかでか、王も臣も、年号も日時も、なきや。又、次に云く、「三論の道昌(どうしょう)・法相(ほっそう)の源仁(げんにん)・華厳の道雄(どうおう)・天台の円澄(えんちょう)」、等、云云。抑(そもそも)、円澄は、寂光(じゃっこう)大師、天台第二の座主(ざす)なり。其の時、何ぞ第一の座主、義真(ぎしん)、根本の伝教大師をば召さざりけるや。円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子(みでし)なれども、又、弘法大師の弟子なり。弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳、よりは、天台の伝教・義真、の、二人を召すべかりけるか。而(しか)も、此の日記に云く、「真言・瑜伽(ゆが)、の宗、秘密曼荼羅、彼の時よりして建立す」、等、云云。此の筆は、伝教・義真、の、御存生(ごぞんしょう)かとみゆ。弘法は、平城(へいぜい)天皇大同二年より、弘仁十三年までは、盛んに真言をひろめし人なり。其の時は、此の二人、現におはします。又、義真(ぎしん)は、天長十年までおはせしかば、其の時まで、弘法の真言はひろまらざりけるか。かたがた不審あり。孔雀経の疏(しょ)は、弘法の弟子・真済(しんぜい)が自記なり。信じがたし。又、邪見者が、公家・諸家・円澄(えんちょう)の記をひかるべきか。又、道昌(どうしょう)・源仁(げんにん)・道雄(どうおう)、の、記を尋ぬべし。「面門、俄かに開いて、金色の毘盧遮那と成(な)る」、等、云云。面門とは口なり。口の開けたりけるか。眉間(みけん)開くとかかんとしけるが。?(あやま)りて、面門とかけるか。ぼう(謀)書をつくるゆへに、かかるあやまりあるか。「大師、智拳(ちけん)の印を結んで、南方に向うに、面門、俄かに開いて、金色の毘盧遮那と成る」、等、云云。涅槃(ねはん)経の五に云く、「迦葉(かしょう)、仏に白(もう)して、言(もう)さく、世尊、我、今、是の四種の人に依らず、何を以(もっ)ての故に、瞿師羅(くしら)経の中の如き、仏、瞿師羅(くしら)が為に説きたまわく、若(も)し、天魔、梵、破壊(はえ)せんと欲するが為に、変じて仏の像(かたち)と為(な)り、三十二相、八十種好を具足(ぐそく)し、荘厳し、円光一尋(いちじん)、面部円満なること、猶(なお)、月の盛明(じょうみょう)なるが如く、眉間(みけん)の毫相(ごうそう)白きこと、珂雪(かせつ)に踰(こ)え、乃至(ないし)、左の脇より水を出し、右の脇より火を出す」、等、云云。又、六の巻に云く、「仏、迦葉(かしょう)に告げたまわく、我、般涅槃(はつねはん)して、乃至(ないし)、後(のち)、是(こ)の魔・波旬(はじゅん)、漸(ようや)く、当(まさ)に、我が正法を沮壊(そえ)すべし。乃至(ないし)、化(け)して、阿羅漢(あらかん)の身、及(およ)び、仏の色身(しきしん)と作(な)り、魔王、此の有漏(うろ)の形を以(もっ)て、無漏(むろ)の身と作(な)り、我が正法を壊(やぶ)らん」、等、云云。弘法大師は、法華経を、華厳経・大日経、に、対して、戯論(けろん)等、云云。而(しか)も、仏身を現ず。此れ、涅槃経には、魔、有漏(うろ)の形をもって、仏となって、我が正法をやぶらん、と、記し給う。涅槃経の正法は、法華経なり。故に、経の次下(つぎしも)の文に云く、「久く、已(すで)に成仏す」、と。又、云く、「法華の中の如し」、等、云云。釈迦・多宝・十方の諸仏、は、一切経に対して、法華経は真実、大日経等の一切経は、不真実、等、云云。弘法大師は、仏身を現じて、華厳経・大日経、に、対して、「法華経は、戯論」、等、云云。仏説、まことならば、弘法は、天魔にあらずや。又、三鈷(さんこ)の事、殊(こと)に不審なり。漢土の人の、日本に来りて、ほりいだす、とも、信じがたし。已前(いぜん)に、人をやつかわして、うず(埋)みけん。いわうや、弘法は、日本の人。かかる誑乱(おうらん)、其の数、多し。此等をもって、仏意(ぶっち)に叶(かな)う人の証拠とは、しりがたし。”

(2005.05.24)
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