appeal

”又(また)、涅槃(ねはん)経を、法華経に勝るると候けるは、いかなる経文ぞ。涅槃経の第十四には、華厳(けごん)・阿含(あごん)・方等(ほうとう)・般若(はんにゃ)、を、あげて、涅槃経に対して、勝劣は説れて候へども、まったく、法華経と涅槃経との勝劣はみへず。次上(つぎかみ)の第九の巻に、法華経と涅槃経との勝劣、分明なり。所謂(いわゆる)、経文に云く、「是(こ)の経の出世は、乃至(ないし)、法華の中の八千の声聞(しょうもん)に、記?(きべつ)を受くることを得て、大菓実を成(じょう)ずるが如く、秋収冬蔵(しゅうしゅうとうぞう)して、更(さら)に、所作(しょさ)無きが如し」、等、云云。経文、明(あきらか)に、諸経をば春夏と説かせ給い、涅槃経と法華経とをば、菓実の位とは説かれて候へども、法華経をば、秋収冬蔵(しゅうしゅうとうぞう)の大菓実の位、涅槃経をば、秋の末、冬の始の?拾(くんじゅう)の位、と、定め給いぬ。此の経文、正く法華経には、我が身劣ると承伏し給いぬ。法華経の文には、已説・今説・当説、と、申して、此の法華経は、前と並との経経に勝(すぐ)れたるのみならず、後に説かん経経にも勝るべしと、仏、定め給う。すでに、教主釈尊、かく定め給いぬれば、疑うべきにあらねども、我が滅後は、いかんかと疑いおぼして、東方、宝浄(ほうじょう)世界の多宝仏を証人に立て給いしかば、多宝仏、大地よりをどり出でて、「妙法華経、皆是真実」、と、証し、十方分身の諸仏、重ねてあつまらせ給い、広長舌(こうちょうぜつ)を、大梵天に付け、又、教主釈尊も付け給う。然(しか)して後、多宝仏は、宝浄世界えかへり、十方の諸仏、各各(おのおの)、本土にかへらせ給いて後、多宝分身の仏もおはせざらんに、教主釈尊、涅槃経をといて、法華経に勝ると仰せあらば、御弟子(みでし)等は、信ぜさせ給うべしや、と、せめしかば、日月の大光明の、修羅(しゅら)の眼(まなこ)を照らすがごとく、漢王(かんのう)の剣の、諸侯の頚(くび)にかかりしがごとく、両眼をとぢ、一頭を低(うなだ)れたり。天台大師の御気色(みけしき)は、師子王の狐兎(こと)の前に吼(ほ)えたるがごとし。鷹鷲(たかわし)の、鳩雉(はときじ)をせめたるににたり。かくのごとく、ありしかば、さては、法華経は、華厳経・涅槃経、にも、すぐれてありけりと、震旦(しんたん)一国に流布(るふ)するのみならず、かへりて、五天竺(てんじく)までも聞へ、月氏(がっし)・大小の諸論も、智者大師の御義には勝れず、教主釈尊、両度、出現しましますか、仏教、二度あらはれぬと、ほめられ給いしなり。
其(そ)の後、天台大師も御入滅なりぬ。陳隋(ちんずい)の世も代わりて、唐(とう)の世となりぬ。章安(しょうあん)大師も御入滅なりぬ。天台の仏法、やうやく習い失(う)せし程に、唐の太宗(たいそう)の御宇(ぎょう)に、玄奘(げんじょう)三蔵といゐし人、貞観(じょうがん)三年に始めて、月氏に入りて、同十九年にかへりしが、月氏の仏法、尋ね尽くして、法相(ほっそう)宗と申す宗をわたす。此の宗は、天台宗と水火なり。而(しか)るに、天台の御覧なかりし、深密(じんみつ)経・瑜伽(ゆが)論・唯識(ゆいしき)論、等、を、わたして、法華経は、一切経には勝れたれども、深密には劣るという。而(しか)るを、天台は御覧なかりしかば、天台の末学等は、智慧の薄きかのゆへに、さもやとおもう。又、太宗(たいそう)は賢王(けんのう)なり。玄奘(げんじょう)の御帰依(ごきえ)あさからず。いうべき事ありしかども、いつもの事なれば、時の威をおそれて、申す人なし。法華経を打ちかへして、三乗真実・一乗方便、五性(ごしょう)各別、と、申せし事は、心う(憂)かりし事なり。天竺(てんじく)よりは、わたれども、月氏の外道が、漢土にわたれるか。法華経は方便、深密経は真実、といゐしかば、釈迦・多宝・十方の諸仏、の、誠言(じょうげん)も、かへりて虚(むな)しくなり、玄奘(げんじょう)・慈恩(じおん)こそ、時の生身(しょうしん)の仏にてはありしか。
其の後(のち)、則天(そくてん)皇后の御宇(ぎょう)に、天台大師にせめられし華厳経に、又、重ねて、新訳の華厳経わたりしかば、さきの、いきどをりをはたさんがために、新訳の華厳をもって、天台にせめられし旧訳の華厳経を扶(たす)けて、華厳宗と申す宗を、法蔵法師と申す人、立てぬ。此の宗は、華厳経をば根本法輪、法華経をば枝末法輪、と、申すなり。南北は、一華厳・二涅槃・三法華。天台大師は、一法華・二涅槃・三華厳。今の華厳宗は、一華厳・二法華・三涅槃、等、云云。
其の後、玄宗(げんそう)皇帝の御宇(ぎょう)に、天竺(てんじく)より、善無畏(ぜんむい)三蔵は、大日経・蘇悉地(そしつじ)経、を、わたす。金剛智(こんごうち)三蔵は、金剛頂経をわたす。又、金剛智三蔵の弟子あり、不空三蔵なり。此の三人は、月氏(がっし)の人、種姓(すじょう)も高貴なる上、人がらも漢土の僧ににず、法門もなにとはしらず、後漢より今にいたるまでなかりし、印と真言という事をあひそいて、ゆゆしかりしかば、天子、かうべをかたぶけ、万民、掌(たなごころ)をあわす。此の人人(ひとびと)の義にいわく、華厳・深密・般若・涅槃・法華経、等、の、勝劣は、顕教(けんきょう)の内、釈迦如来の説の分なり。今の大日経等は、大日法王の勅言(ちょくげん)なり。彼の経経は、民の万言(まんげん)、此経は、天子の一言(いちごん)なり。華厳経・涅槃経、等、は、大日経には、梯(はしご)を立てても及ばず。但(ただ)、法華経、計(ばか)りこそ、大日経には、相似(そうじ)の経なれ。されども、彼の経は、釈迦如来の説、民の正言(しょうごん)、此の経は、天子の正言なり。言(ことば)は似れども、人がら雲泥(うんでい)なり。譬へば、濁水(じょくすい)の月と、清水(せいすい)の月のごとし。月の影は、同じけれども、水に清濁あり、なんど、申しければ、此(こ)の由(よし)、尋(たず)ね、顕(あらわ)す人もなし。諸宗、皆、落ち伏して、真言宗にかたぶきぬ。善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)、死去の後、不空(ふぐう)三蔵、又、月氏にかへりて、菩提心論と申す論をわたし、いよいよ真言宗、盛(さか)りなりけり。但(ただ)し、妙楽大師といふ人あり。天台大師よりは、二百余年の後なれども、智慧かしこき人にて、天台の所釈を見明(みあき)らめてありしかば、「天台の釈の心は、後にわたれる深密経・法相宗、又、始めて漢土に立てたる、華厳宗・大日経真言宗にも、法華経は、勝(すぐ)れさせ給いたりけるを、(天台の末学等は、)或(あるい)は、智のをよばざるか、或は、人に畏(おそ)るるか、或は、時の王威をおづるか、の、故に、いはざりけるか。かくてあるならば、天台の正義、すでに失(う)せなん。又、陳隋(ちんずい)已前の南北が邪義にも、勝れたり」、と、おぼして、三十巻の末文(まつもん)を造り給う。所謂(いわゆる)、弘決(ぐけつ)・釈籤(しゃくせん)・疏記(しょき)、これなり。此の三十巻の文は、本書の重(かさ)なれるをけづり、よわきをたすくるのみならず、天台大師の御時(おんとき)なかりしかば、御責(おんせめ)にも、のがれてあるやうなる、法相宗と華厳宗と真言宗とを、一時に、とりひしがれたる書なり。
又、日本国には、人王(にんのう)、第三十代、欽明(きんめい)天皇の御宇(ぎょう)、十三年、壬申(みずのえさる)、十月十三日に、百済(くだら)国より、一切経・釈迦仏の像、を、わたす。又、用明(ようめい)天皇の御宇(ぎょう)に、聖徳太子、仏法をよみはじめ、和気(わけ)の妹子(いもこ)と申す臣下を、漢土につかはして、先生(せんじょう)所持の一巻の法華経をとりよせ給いて、持経と定め、其の後(のち)、人王、第三十七代、孝徳(こうとく)天皇の御宇(ぎょう)に、三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎(ぐしゃ)宗・成実(じょうじつ)宗、わたる。人王、第四十五代に、聖武天皇の御宇(ぎょう)に、律宗わたる。已上(いじょう)、六宗なり。孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは、十四代、一百二十余年が間は、天台・真言、の、二宗なし。桓武の御宇(ぎょう)に、最澄(さいちょう)と申す小僧あり。山階(やましな)寺の行表(ぎょうひょう)僧正(そうじょう)の御弟子(みでし)なり。法相宗を始めとして、六宗を習いきわめぬ。而(しか)れども、仏法、いまだ極めたりともおぼえざりしに、華厳宗の法蔵法師が造りたる起信(きしん)論の疏(しょ)を見給うに、天台大師の釈を引きのせたり。此の疏(しょ)こそ、子細(しさい)ありげなれ。此の国に渡りたるか、又、いまだわたらざるかと、不審(ふしん)ありしほどに、有る人に、とひしかば、其の人の云く、「大唐の揚州(ようしゅう)、竜興(りゅうこう)寺の僧、鑒真(がんじん)和尚(わじょう)は、天台の末学、道暹(どうせん)律師の弟子、天宝(てんぽう)の末に、日本国にわたり給いて、小乗の戒を弘通(ぐずう)せさせ給いしかども、天台の御釈、持ち来りながら、ひろめ給はず。人王、第四十五代、聖武天皇の御宇(ぎょう)なり」、と、かたる。「其の書を見ん」、と、申されしかば、取り出だして、見せまいらせしかば、一返、御らんありて、生死の酔(よい)をさましつ。此の書をもって、六宗の心を尋(たず)ね、あきらめしかば、一一に邪見(じゃけん)なる事、あらはれぬ。忽(たちま)ちに、願(ねがい)を発(おこ)して云く、「日本国の人、皆、謗法(ほうぼう)の者の檀越(だんのつ)たるが、天下一定(いちじょう)、乱れなんず」、と、おぼして、六宗を難(なん)ぜられしかば、七大寺、六宗の碩学(せきがく)、蜂起(ほうき)して、京中、烏合(うごう)し、天下、みなさわぐ。七大寺、六宗の諸人等、悪心、強盛(ごうじょう)なり。”

(2005.05.17)
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