appeal

”御札、委細、拝見、仕(つかまつ)り侯い畢(おわ)んぬ。抑(そもそも)、此の事の根源は、去(いぬ)る十一月の比(ころ)、南部弥三郎(波木井実長)殿、此の御経を聴かんが為、入堂侯の処に、此の殿(波木井実長)、「入道(波木井実長)の仰せ(言い分)」、と、侯いて、「念仏無間地獄の由(よし)、聴き給はしめ奉るべく侯。(しかし、)此の国に、守護の善神、無しと云う事、云わるべからず」、と、承り候いし。是(これ)こそ、存外の次第に覚え侯へ。入道殿(波木井実長)の御心、替らせ給い侯かと、はっと、推せられ侯。殊に、いたく、「比の国をば、念仏・真言・禅・律、の大謗法(だいほうぼう)故(ゆえ)、大小、守護の善神、捨て去る間、其の跡のほくら(祠)には、大鬼人、入り替って、国土に飢饉、疫病、蒙古国の三災、連連とて、国土滅亡の由、故に日蓮聖人の勘文、関東の三代に仰せ含まれ候い畢(おわ)んぬ。此の旨こそ、日蓮阿闍梨(あじゃり)の所存の法門にて候へ。国の為、世の為、一切衆生の為、の故に、日蓮阿闍梨(あじゃり)、仏の使として、大慈悲を以て、身命を惜しまず申され候いき」、と、談じて候いしかば、弥三郎殿、「念仏無間の事は、深く信仰し候い畢(おわ)んぬ。守護の善神、此の国を捨去すと云う事は、不審、未だ晴れず候。其の故は、鎌倉に御座(おざ)し候御弟子(みでし)は、諸神、此の国を守り給う、尤(もっと)も参詣すべく候。身延山の御弟子は、堅固に守護神、此の国に無き由を仰せ立てらるの条、日蓮阿闍梨(あじゃり)は、入滅候」。「師匠は、入滅し候と申せども、其の遺状候なり。立正安国論、是なり。私にても候はず、三代に披露し給い候」、と、申して候いしかども、尚(なお)、心中不明に候いて、御帰り候い畢(おわ)んぬ。是れと申し候は、此の殿の三島の社(やしろ)に参詣渡らせ給うべしと承り候し間、夜半に出(い)で候いて、越後坊(日弁)を以て、「いかに此の法門、安国論の正意、日蓮聖人の大願をば破し給うべき。御存知ばし、渡らせをはしまさず候か」、と、申して、永く、留め進らせし事を、入道殿、聞こし召され候いて、民部阿闍梨(あじゃり)(日向)に、問はせ給い候いける程に、御返事、申され候らいける事は、「守護の善神、此の国を去ると申す事は、安国論の一言にて候へども、白蓮阿闍梨(日興)、外典読みに、片方を読みて、至極を知らざる者にて候。法華の持者、参詣せば、諸神も彼(か)の社(やしろ)に来会(らいえ)すべく、尤(もっと)も参詣すべし」、と、申され候いけるに依って、人道殿、深く、此の旨を御信仰の間、日興、参入して、問答、申すの処に、案の如く、少しも違(たが)わず、「民部阿闍梨(日向)の教(おしえ)なり」、と、仰せ候いしを、白蓮、此の事は、はや、天魔の所為(そい)なり、と、存じ候いて、少しも恐れ進(まい)らせず、いかに、謗法の国を捨てて、還(かえ)らずとあそばして候守謨神の御弟子の(となった)民部阿闍梨、「参詣する毎に、(守謨神)来会(らいえ)すべし」、と、候は、師敵対、七逆罪に候はずや。加様にだに候はば、彼の阿闍梨を、日興、帰依し奉り候はば、其の科(とが)、日興、遁(のが)れ難く覚え候。今より以後、かかる不法の学頭をば擯出(ひんずい)すべく候と申す。
やがて、其の次に、南部郷の内、福士の塔(念仏の石塔)、供養の奉加に入らせをはしまし候。総じて、此の二十余年の間、持斎(じさい)の法師(ほっし)、影をだに指さはらざりつるに、御信心、何様(いかよう)にも、弱く成らせ給いたる事の候にこそ候いぬれ。是れと申すは、彼の民部阿闍梨、世間の欲心深くして、へつらひ諂曲(てんごく)したる僧、聖人の御法門を立つるまでは、思いも寄らず、大いに、破らんずる仁(ひと)よと、此の二三年、見つめ候いて、さりながら、折折は、法門、説法の曲りける事を謂(いわ)れ無き由を申し候いつれども、敢(あ)えて、用いず候。今年の大師講にも、啓白の所願に、「天長地久、御願円満、左右大臣、文武百官、各願成就」、との給い候いしを、「此の所は、当時は、致すべからず」、と、再三申し候いしに、「争(いか)でか、国恩をば、知り給はざるべく侯」、とて、制止を破り給い候いし間、日興は、今年、問答講、仕(つかまつ)らず候いき。
此れのみならず、日蓮聖人、御出世の本懐、南無妙法蓮華経、の教主釈尊、久遠実成の如来の画像(えぞう)は、一ニ人、書き奉り候へども、未だ、木像は誰も造り奉らず候に、入道殿、御微力を以て、形の如く造立し奉らんと、思召(おぼしめ)し立ち候を、御用途も候はずに、「大国阿闍梨(日朗)の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へ」、と、教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、「責めて、故聖人安置の仏にて候はば、さも候なん。それも、其の仏は、上行等の脇士(きょうじ)も無く、始成の仏にて候いき。其の上、其れは、大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに、第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御カ、契(かな)い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁(ひと)、出来(しゅったい)し給うまでは、聖人の文字にあそばして侯を御安置候べし。いかに聖人、御出世の本懐の、南無妙法蓮華経、の教主の木像をば、最前には破し給うべき」、と、強いて申して候いしを、軽(かろ)しめたりと思食(おぼしめ)しけるやらん、日興は、かく申し候こそ、聖人の御弟子として、其の跡に帰依し進らせて候甲斐に、重んじ進らせたる高名と、存知候は、聖人や、人、替らせ給いて候いけん、いやしくも、諂曲(てんごく)せず、只、経文の如く、聖人の仰せ様に、諌(いさ)め進らせぬる者かなと自讃してこそ存じ候へ。
総じて、此の事は、三の子細にて候。一には、安国論の正意を破り候いぬ。二には、久遠実成の如来の木像、最前に破れ候。三には、謗法の施(せ)、始めて、施(ほどこ)され候いぬ。此の事共は、入道殿の御失(おんとが)にては、渡らせ給い候わず、偏(ひとえ)に、諂曲したる法師の過(あやまち)にて候えば、「思召し、なをさせ候いて、今より已後、安国論の如く、聖人の御存知、在世二十年の様に信じ進らせ候べしと、改心の御状をあそばして、御影の御宝前に進らせ給え」、と、申し候を、御信用候わぬ上、軽しめたりとや思食し候いつらん、「我は、民部阿闍梨を師匠にしてるなり」、と、仰せの由、承り候いし間、さては、法華経の御信心、逆に成り候いぬ。日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には、釈迦如来こそ、初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑(たの)み奉るによって、五逆罪の人と成って、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや。何を以(もっ)て、聖人を信仰し進らせたりとは知るべく候。日興が、波木井(はきり)の上下の御為には、初発心の御師にて候事は、二代三代の末は知らず、未だ、上にも下にも、誰か、御忘れ候べき、と、こそ、存じ候え。
身延沢を罷(まか)り出で候事、面目なさ、本意(ほい)なさ、申し尽くし難く候えども、打還(うちかえ)し案じ候えば、いずくにても、聖人の御義を相継(あいつ)ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子、悉(ことごと)く、師敵対せられ候いぬ。日興一人、本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁(ひと)に、相当って覚え候えば、本意、忘るること無く候。また、君達(きんだち)は、何れも、正義を御存知候えば、悦び入って候。殊更(ことさら)、御渡り候えば、入道殿、不宜(ふぎ)に落ちはてさせ給い候わじ、と、覚え候。
尚(なお)、民部阿闍梨の邪険、奇異に覚え候。安房へ下向(げこう)の時も、入道殿に参り候いて、外典(げてん)の僻事(ひがごと)なる事、再三、申しける由、承り候。聖人の安国論も、外典にて、かかせ渡らせ給い候。文永八年の申状も、外典にて書かれて候ぞかし。其の上、法華経と申すは、漢土第一の外典の達者が書きて候間、一切経の中に、文詞の次第、目出度くとこそ申し候へ。今、此の法門を立て候はんにも、構(かま)えて、外筆の仁(ひと)を一人、出(いだ)し進らせんとこそ、思進(おぼしまい)らする事にて候いつれ。内外の才覚無くしては、国も安からず、法も立ち難しとこそ、有りげに候。総じて、民部阿闍梨の存知、自然(じねん)と、御覧じ顕さるべし。
殊に、去(い)ぬる、卯月(うづき)朔日(ついたち)より、諸岡入道の門下に候小家に籠居(ろうきょ)して、画工を招き寄せ、曼陀羅を書きて、同八日仏生日と号して、民部入道の室内にて、一日一夜、説法して、布施を抱(いだ)き出すのみならず、酒を興ずる間、入道、其の心中を知って、妻子を喚び出して、酒を勧むるの間、酔狂(すいきょう)の余り、一声を挙げたること、所従、眷属(けんぞく)の嘲弄(ちょうろう)、口惜しとも申す計りなし。日蓮の御恥、何事か、之に過ぎんや。此の事は、世に以て、隠れ無し、人、皆、知る所なり。此の事をば、只(ただ)、入道殿には、隠し進らせて候えども、此くの如き等の事の出来(しゅったい)候えば、彼の阿闍梨の大聖人の御法門、継ぎ候まじき子細、顕然の事に候えば、日興、彼の阿闍梨を捨て候事を、知らせ進らせん為に、申し候なり。同行に憚(はばか)りて、いかでか、聖人の御義をば隠し候べき。彼の阿闍梨の説法には、定めて、一字も、問いたる児共の、日向を破するはとの給い候はんずらん。元より、日蓮聖人に背き進する師共をば、捨てぬが、還って、失(とが)にて候と申す法門なりと、御存知、渡らせ給うべきか。何よりも、御影の、此の程の御照覧、如何(いかん)。見参(げざん)に非ざれば、心中を尽くし難く候。  恐恐謹言。

 (正応元年)十二月十六日                                 日興 判

進上 原殿御返事

  追って申し候。涅槃経、第三、第九、二巻、御所にて談じて候いしを、愚書に取具(とりぐ)して、持ち来って候。聖人の御経にて渡らせ給い候間、慥(たし)かに、送り進らせ候。兼ねて、又、御堂の北のたなに、四十九院の大衆の送られ候いし時の申状(もうしじょう)の候いし、御覧候いて、便宜(びんぎ)に付し給うべくや候らん。見るべきこと等候。毎事後信の時を期(ご)して候。恐恐。”

(原殿御返事、編年体御書P1731)

(2005.08.23)
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