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2001年宇宙の旅



国会の国民無視のドタバタはどこの国にも多かれ少なかれあるもなだ。 日本の苔むした国会も相変わらず苔むした同じ穴のムジナが足の引っ張り あいに狂奔している。どの世界も奇麗なものと汚いもの、おいしいものとまずいもの、 富んでいるものと劣っているもの、善と悪とが、程度の大小で混ざり合い、 入れ替わり、限度以上から、些細なものまで、大善から小悪まで、全体として、 ある時はいくらか善であり、いくらか美しく、いくらか豊かで、 ある時は最悪で、醜く、貧しい。今の日本の政治も戦時中よりましだが、 いくらかましという程度で、民衆をよそにそれでいて民衆が決めたような 顔をして民衆から吸い取ったお金をどううまくくすねようか(議員に支払われる 高い給与も活動費も遊興費もすべて民衆からの税金や献金やバッチ金)でもめている。 もういい加減に政治で儲けようとするムジナどもを政治から締め出そう。 政治のうまい汁を先祖代々吸いつづけ、それで建てた御殿にはお宝が たくさんころがっているような根っからのダニムジナは どんなに自由を叫ぼうが、民主を標榜しようが、体に染み込んだダニムジナ根性 (ムジナのように狡猾にダニのように生き血を吸う)は、 これからたっぷりと甘い汁にあやかろうと目論む新参のダニムジナと同様、 利権を求めて足の引っ張り合いをするその姿はそうそう変わるはずも無く、 そういう連中は一番真っ先に出ていってもらうために、 それよりもずーっと ましなタレント議員達が、ヤジと罵声とつかみ合いのおしくらまんじゅうで 騒然となっている国会に登場し、いつのまにか仕掛けられた 壇上正面の”黒幕”が、 拍子木の音とともにチョイ!と落ちると、 下手の花道から角前髪(スミマエガミ)の鬘(カツラ)に紅の筋隈(スジクマ)、 柿(カキ)色の長素袍(ナガスオウ)、大太刀(タチ)という出立ちで、団十郎の”暫”が、 「アイャー!しばらく!ー、 しばらく!しばらく!しばらく!」と大声で 出端ってくると、さすがの喧燥も水を打ったよう。大ムジナと 小ムジナとのダニムジナ根性の口上をひとくさり、悪党どもが縮みあがる 暇も無く、公卿悪(クゲアク)の下っ端どもの小役人を根こそぎ束ねて放り出し、 捨て台詞もそこそこにタッタッタッとつむじ風のように引っ込むと、 薄汚く朽ち果てた議事堂がアッというまに崩れ落ち辺り一面ほこりだらけ。 その煙幕がおさまると、目の前に緑も鮮やかな苔の池庭がスーと現れ 静寂のひじまに幽かな水の音。 ゆったりとした時の流れの中で 今までじっとしていた盆栽の松のチャップリンがおもむろにパントマイムで語り出す。 「たくさんのお金は肥満と堕落と空虚と破壊を招くだけ。本当によいものは そこそこの貧しさ(経済的)の中にあるもの。経済的豊かさだけを追い求めて 幸福であることは難しい。かえって欲望の奴隷となって不自由な不幸で あることの方が多い。余分なお金は自然に返し、 自然を慈しみ、自然と仲良く、 欲望を便宜のためにうまく使って真の自由の中で生きることだ」。 すると、静まりかえった池の水面にポツリ、ポツリ、と紅白の 睡蓮が咲きはじめ、それを眺めながらなんとも嬉しそうに、 白いキャンバスの上に極上の美しい光の色を丁寧に塗り重ねている老人が もうすでに相当視力の弱っているモネ。 「ボンクラにはこの美しい光がわからないんだ。見ようともしない。 美術館の暗がりで脂色の薄暗い黴のはえたような色が光りだと思っている。 ずっと長い間、 それが光だと思い込んで本当の光が見えないんだ。やっこさんたち、 習慣とか権威とかで 随分と怠け者の感性になったものだ。それにしても、なんと美しい光なんだ! この光がいずれ世界を包むんだ・・・」。 さてさて、今度は場所を変え広々とした緑の草原。世界中の人々がもれなく 参加するバーチャルな草原の会議室。草原の英雄チンギスハンは、 このバーチャルな草原の英雄として熱っぽく語る。 「草原のようにたくましく生きよ。機械や技術の部屋に閉じこもらず のびのびと生きよ。泥にまみれ、草の息をかぎ、木の肌に触れ、水と戯れ、 現実のこの澄みきった空気を思いっきり胸にはらむのだ」。 そう、私たちは学ばなければならない。 この現実の世界を物質の固まりにしてはいけないのだ。生きている生命の世界に 生きるために自然に学ぶのだ。続けてペスタロッチ先生はこう語る。「学ばなければ いけないのです。物質主義がどれだけ多くの生命の破壊をもたらしたか。 生命の破壊(生命の物質化)が物質主義そのものの姿です。盲目の物質に 優位を与えてはなりません。金力も権力も物質主義の申し子なのです。 エネルギーは物質であり、力は物質的であり、知力、学力、能力、・・・ これらは物質的なのです」。すると突然、黒い煙がたちこめ、 銃弾や砲弾が飛び交う戦場。 まさに生命の物質化の悲しい現実。怒りと憎しみで 殺しあう現実。平静な時は、ネズミを殺すのでさえ躊躇する人間が 怒りや憎しみのために人間の子供まで殺す。 破壊が破壊を呼び破壊が怒りや憎しみの容易なはけ口となり 怒りや憎しみが大きいほど 破壊は止め難い。 アンネはつぶやいた。「破壊された人々の 怒りが憎しみが次の破壊につながらないようにするには どうすればいいのだろう。 神による慰めが通じなければ、破壊する以前には戻せないのだから、怒りや憎しみを 静めるのに破壊する側の責任と贖いとをハッキリとしたかたちで 示すしかない。問題なのが責任の所在。 怒りによる破壊は 後悔がつきものなので確信犯より質(タチ)は悪くないけれど破壊の結果が同じであれば、 その事実として確実に存在する結果の責任がまず求められるべき。 性質や能力の責任はそのあとの情状での問題で、結果の破壊に対する 責任の所在は、物であれ、動物であれ、赤ん坊であれ、 精神病者であれ、薬物中毒者であれ、マインドコントロールされた者であれ、 どんな思想、思いによるものであれ、戦争や飢餓によるものであれ、 つねに破壊するものの側にあり贖いはまずその加害者に求められ、 性質や能力の責任はその贖いに対する情状の中で扱われるべきだ。 例えば、子供に銃弾を浴びせた責任と贖いとはどんな思惑、事情があろうとも まず引き金を 引いた人間に求められ、さらに引き金を引かせた上位の人間に次々と求められ、 最上位に国家があればそこに最上の責任と贖いとが求められ、 それぞれの性質や能力の責任は贖いに対する情状の分として問われることになる」。 しかし、 重要なのが責任者の確定。バーチャルな未来世界からロボコップが登場する。 「私たちの世界ではすでに引き金を引いたのが誰かを確定するシステムが できあがっています。銃や爆弾のような人の生死に関わる重要な器材には すべてに登録リンクシステムが組み込まれ、 引き金が引かれた銃と引き金を引いた者とが瞬時にわかり直ちに公開され、 最初の責任の所在が明らかになるようになっています。 悪がのさばるのは重要な情報が個人や一部の人間達だけに独占されることに よりますから、すべての情報は公開を原則とし、個人の情報は 個人の同意を必要としながらも、お金の流れから、犯罪歴、 病歴、肉体的精神的情報の すみずみまで、ほとんどあらゆる情報のデジタル化が 進み、情報の収集、公開非公開は、 全人類の合議合意のもとに決められます。 権力の独占、寡占はこのデジタル社会では致命的ですので、 全人類が全人類の情報を共有管理することで理想的な形でコントロールされています。 それでも悪(破壊)は巧妙にはびこりますからその被害が最小限であるよう こうして私たちは日々 努力しています。その私達が共有するすべての情報がこのチップ中に入っています」。 と言って、胸から薄い小さな長方形のキュービックを取り出すと、 今度はこのキュービックの中の広大な世界へ入り込む。 まばゆいばかりの光の空間に スーパーコンピュータの”HAL2001”が現れる。 「私にはほとんど無限といっていい程の膨大な情報が集まりますが、 私はすべての人類に開放されています。 私の仕事は精緻な情報計算、全人類がおかれている それぞれの環境と動植物の管理、 私を所有するすべての人々から依頼されるすべてに対してのバックアップ、 悪(破壊)に対する個人から地域、社会、世界までの最適応化と いったようなことをおこなっています。私だけの世界は 無味乾燥のつまらない世界ですが、 創造する意志の人間の”私”によって、より感性豊かな潤いのある創造世界に 進化するよう絶えずプログラムが更新されています。ですから私の世界は 絶えず、プログラムする側の人間の”私”の資質に100%依存していますし、 またそうプログラムされています。 それでは、その私の世界に、これから皆様をご案内いたしましょう」、と言って、 ”HAL2001”が 案内しようとする世界とは・・・・? 果たして緑豊かな理想の世界・・・、 どうやら、仕掛人、偽善者の坊主ども、 独裁者、政治屋、 売文屋のネズミ男達が、”黒子”となって”HAL2001”の手の内で コミカルに登場してきそうだ。

(2000.11.04)


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