世界市民は二つに分けられる。一つはより世界市民の私。一つはより世界市民でない私。より世界市民の私は、より、”その時”、を基準とし、より普遍に重きを置く。より世界市民でない私は、よりその逆。より世界市民でない私を、より官僚主義者の私、とも言う。より、”その時”、が基準なら、より悪いことにより強い嫌悪と憤りを感じるはずで、より悪いことは出来ない。たとえば、ナチスをより批判否定する私は、より世界市民の私。その批判否定がより強く、より影響力のある私は、より世界市民の私。たとえば、靖国をより容認肯定する私は、より世界市民でない私。その容認肯定がより強く、より影響力のある私は、より世界市民でない私。より官僚主義者の私。

2013/07/16
<--
-->
sindex
index
home