冷たい風の中、とは、


より現実主義の世界。

その実態は、官僚主義のマトリックスが作り出す現実と称する、より策略に満ちた世界。

あの韓国ドラマのように。

そのドラマ上では、悪の策略の因果はその悪の策略によって見えないでいる。善を悪にしたて、悪を善に見せる。しかし、視聴者はその因果を常に知っているから、その悪を悪と知り、その善を善と知り、その悪を常に憎む。そのように私の記憶の世界では、知るものと知らざるものと、より悪の策略に満ちた世界とより善の理想の世界とが、より複雑な世界を作りだす。

"その時"、私は、その視聴者となってその因果を常に見る。その悪の策略に驚愕し、その悪もまた同じ私だと知り驚愕し 、しかも、その世界が、私の記憶の選択の世界だと知り驚愕し、、、。

"その時"、その悪の私は、その同じ私の、善の私に対するその悪の私の行為を、地団駄踏んで、憤り、

"その時"(空)、では、その悪の私の、その同じ私の、善の私に対する策略は、 地団駄踏んで、空(むな)しいだけ。

2016/08/07
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