”平和憲法”、は、その壮絶な苦の仕打ちを回避するための、未来の私の世界にとって、きわめて重要なもの。
その、”平和憲法”、を、解釈で真逆に変え、”切なる願い”、を、糞のように反古(ほご)にし捨て、それをまた戦争に利用するという、その不正義。
世界の警察を自称してきた超大国(その責任はきわめて大)の 自由の正義の女神に対する、そのアメリカの裏切り。
正義に何よりも敏感なはずの(マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの正義の訴え)、初の黒人大統領の、その正義に対する裏切り。
その不正義に対する、自由の不正義の女神による、その報復。
今の、アメリカの警察による黒人に対する根深い理不尽な仕打ちから、
もっと遡(さかのぼ)って、黒人が白人社会の奴隷となり、その子孫が理不尽な仕打ちを受け続けるという、その因は、
”今、ここ”、の、その因縁の理不尽(不正義)な選択による。
因は、常に、”今、ここ”、に、ある。
”平和憲法”、が、その壮絶な苦の仕打ちを回避するために必要であればあるほど、過去と未来とのおびただしいその壮絶な苦に対しての責任はきわめて重い。
それは、幾百年、不正義によって虐(しいた)げられてきた黒人の、そのおびただしい壮絶な理不尽な苦の、その怨念に対する裏切り
。
そのことでその盲目の私が真に笑えるのは、”今、ここ”、の、”その時”、を、真に知ってから。