怨念は、納得のいかない壮絶な苦の仕打ちによる。
怒り、憎しみ、恨みの普遍化。
その怨念を鎮めるには、納得のいく、因縁を聞かせること。
納得がいかなければ、その怨念による納得のいかない壮絶な苦の責めを負う。
こいつらによってなされたことは、こいつらに返してやりたい。
”平和憲法”、は、その苦の責めを回避しし軟着陸に必要なもの。
わざわざ痛い思いをしなくてもいいものなのに、と、”星の王子さま”。
痛い思いをしなければわからないのは愚人の常。
その怨念は、9.11、アルカイダ、イスラム国、のように、”チャップリンの砲弾”、となってつきまとう。
憲法を解釈で真逆に変え、”切なる願い”、を、糞のように反古(ほご)にし捨て、それをまた戦争に利用する罪がどれほどのものか。
黒人にたいする納得のいかない壮絶な苦の責めも、これからの苦も、その因縁の私の選択による(正義の破壊)。
広島、長崎、の原爆、東京大空襲の納得のいかない壮絶な苦の責めも、これからの苦も、その因縁の私の選択による(正義の破壊)。
覆水は盆に返っている(過去の果の因が、”今、ここ”、の、私の選択(縁)による、ということ)。
怨念貞子恐るべし。