生と死と二つの理は、生死の夢の理なり、妄想なり、顛倒(てんどう)なり、本覚の寤(うつつ)を以て、我が心性を糾せば、生ず可き始めも無きが故に、死す可き終りも無し、既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず、水災にも朽ちず、剣刀にも切られず、弓箭(きゅうせん)にも射られず、芥子(けし)の中に入るれども、芥子も広からず、心法も縮まらず、虚空の中に満つれども、虚空も広からず、心法も狭からず、善に背くを悪と云い、悪に背くを善と云う、故に、心の外に善無く、悪無し、此の善と悪とを離るるを、無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く、心の外には法無きなり、故に善悪も浄穢(じょうえ)も、凡夫・聖人も、天地も大小も東西も南北も四維も上下も、言語道断し、心行所滅す、心に分別して、思い言い顕す言語なれば、心の外には分別も無分別も無し

三世諸仏総勘文教相廃立

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