すべて(私と他者、存在者)は、そのそれぞれの一瞬一瞬の因縁で、それぞれに変化し続けている。夏。公園の日陰のベンチ。汗のひたたる体に心地よい風が吹き抜ける。まわりの木々からは蝉しぐれ。足元には小さなアリが大きな獲物を口にくわえ運んでいる。このすべての存在者は、そのそれぞれの一瞬一瞬の因縁でそれぞれに変化し続けている。より無限に膨大な数の存在者。そのより無限に膨大な数のパラパラ漫画を、”今、ここ”、の、一瞬の一点で、解釈できるのは、これまでの脳による記憶の蓄積があればこそ。アリもその能力に応じて選択(縁)しその世界を見ている。風(空気)もその能力に応じて(能力は冥伏している)選択(縁)してその世界を見ている(能力は冥伏していて見えないが)。その一瞬一瞬の因縁果の繰り返し。その一瞬一瞬の因縁果の一瞬の果の存在因を私のセンサーと脳とが一瞬の風(果)と開く(縁)。その一瞬一瞬の因縁果のその一瞬の果の存在因を私のセンサーと脳とが一瞬のアリ(果)と開く(縁)。その一瞬一瞬の因縁果のその一瞬の果の存在因を私のセンサーと脳とが一瞬の蝉しぐれ(果)と開く(縁)。・・・。同じように、そのアリも、その風も、・・・、と。脳は蓄積された記憶の歴史年表と、新たな記憶の履歴とで、”今、ここ”、のその私の世界を作り出す。そのより高度な能力でそのより高度な解像の世界を作り出す。私のその自由への謀(たばか)り。大隕石の衝突の後、地球は修正し、さらなる自由への高みへと。地球を何回もより不自由にするほどの危険な核の時代。地球は修正し、大津波、福島原爆、さらなる自由への高みへと。大災害の二つの鳥居。一つは広島、一つは東北の大震災。宗教を悪用した戦争が地球の全生命の私にとって最も喫緊の危険だということを、”地球の私”、は、知っている。

2013/08/07
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