一方、どんなに残虐な人殺しの私でも、どんなに悪党の私(より官僚主義者の私)でも、その蓄積された記憶、何を選択(縁)してきたか、により、つまり、どんな記憶の蓄積があろうとも、このページを訪れ、少なからず、”その時”、を、選択(縁)した私は、その私の一大事の、”その時”、に、それなりによりその真実を理解し、それなりにより思い出し、それなりにより善を選択をすることができる。つまり、赤いものは赤に、黒いものは黒に、その選択(縁)したものによって、その果報が決まる。

2013/08/15
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