五月三日の憲法記念日に、改憲派が憲法改正を訴えて集会と。



さらに憲法改正原案を議論する憲法審査会なるもの。



これらはさしずめ、”安部は糞だ!”、と言っている。



すでに、その阿倍のバカボンは解釈で改憲済みの憲法のもと、あとは法整備を着々と、と。



つまり、今、改憲をもくろむ連中が憲法改正を訴えれば訴えるほど、その親分のバカボンの解釈改憲が、”インチキだ!糞だ!”、と訴えている、ということになる。



(9条を拡大解釈で眞逆に変えられるなら、その憲法のすべてと、その関連法のすべてが閣議決定の拡大解釈で眞逆に変えられる、ということ。たとえば、赤信号は止まれ、だけれども憲法を変えられるほどの閣議決定の権力者達は止まらなくていい、とか)



(バカボンの解釈改憲が糞でないなら、憲法審査会なるものの存在自体が、糞だ、ということ)



(法律が閣議決定の拡大解釈で眞逆に変えられるなら、国会の議決はいらないから、国会はいらない、国民から選ばれる政治家は内閣の数人でことたりる、ということ)



(こうした、インチキ、糞、が、法的にまかり通る法治国家は、すでに死んでいる)



(かくして、この死んでいる法治国家は、無法者が無法者を裁く、リンチ国家の最貧国)



かように、官僚主義の糞は、自らの糞を糞として、あらわに映し出す。





その官僚主義の、”糞”、も、その私自身の因縁の確率で動いているから、より、”まとも”、というその私にとっての確率のより低い因縁を選ぶことは、容易でない。

2015/05/10
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