ー 原点 ー
(26年前の33歳の時、鉛筆で書いた手記のとおりに書きます。読めないところは、・・・。あいまいなところは、?。(注)〜(/注)は、手記に書いてある当時の注釈、挿入。(今注)〜(/今注)は、今の注釈。誤字脱字もあります。宗教用語や考え方など当時のままです。どうか偏見やそれぞれの信条を一旦( )に入れて読んでください。とくに日本人はその偏見がつよいので。その偏見は私にもよくわかります。この手記以前、ある環境下でずっと抵抗を感じていましたから。)

(1986.11.21 からの手記)



水腎になった水を飲まないようにする?

水腎内尿は汗で出るか

一日1.2L
一分間・・00cc

86.11.21(金)

AM6:00 腹痛なし 発熱 9.2

尿意、尿道鈍痛

PM12:00 左腹の妙ないたさ

強い尿意で一時おきに便所

11/22 (土)

9:00 病院

11:00 左腹痛み出しふるえ

11:30 医師の対応にふるえとまる

12:30 スキャナーにより水腎症をへいはつしているとか

12:30
〜 点滴(ふるえず)
13:30

14:30 帰宅

15:00 めし(カツドン カステラ 牛乳)

15:30まで ビデオみる 気分がわるくなる ・・・ 

15:40 ふるえ 腹痛 発熱

20:00 発汗



22/23(日)

6:00 7.8よりふるえ。汗で水腎内の尿は変化ないのか

9:00 9.3で発汗

9:25 8.8 //



11/24 AM 6:00ごろ
ここから

左腹のそんなに強くないいたみだがその痛みで寝れずにいた

ねむらなければいけないとおもいAM7:00ごろブスコパン座薬をいれて2時間ぐらいねようととこについた。

AM8:00

朝起きると汗でぐしょぐしょにぬれていたので下着を着かえてふとんにはいった。すこしねたと思う。左腹のいたみもすっかりなくなって(注)すっかりなくなっていたかどうか(/注)気もちもよかったが、それが並つうの気持ちよさでなくて、薬でものんでラリっているような、頭はすこしふらつくし、どうもふつうじゃないので、もしかしたら今死んでいるのかもしれないとふと思ったり、不安になって、ずいぶんやっていなかった題目をかべにかけてあった正本堂(今注)当時日蓮正宗大石寺にあった本堂(/今注)の写真にむかってあげてそれから下の仏壇であげようと下におりていったきり、あとはおぼえていない。

(注0)これは寿量品の老医の譬え 仏がなくなったと聞いたので(じぶんが死んだと思ったので)以前仏がおいていった(かって生きていたときに題目をとなえたことがあるということ)薬(題目)を取ってのんだ(題目をあげた)(/注0)



助かった助かったといって母のあごをかむ。最初に助かるところのシーンを見て時間が逆転しているようにジグソーパズルのもっとふくざつなしかけのようなもので最初に見て感じた助かるという場面がもう一度きてパーと目の前がひらけて助かったと叫んで最初のイメージのとおりになった。この間はもっと不思議な体験だった。でも納得のゆく回転は驚くほど。因縁果因縁果と合理的に回転してゆくはじめも終りも中間も自在に回転してゆく。

(注)11/24 最初に見た助かるシーンというのは、両手両足をバタバタさせてタタミをたたいて目がさめてというより死からよみがえって母のあごをかむというシーン。このシーンが逆もどりしてあるところでまたもどって回転した。その回転のそれぞれの行為がどういうものであったか忘れたが昔のことから今のことまでふくまれていたようなきもするし、しきりに今までの信心のありかたを反省していた。(注0)今までの信心のありかたのなさけなさにもうダメなんじゃないかと、何度も思った。もっとやっとけばよかったと(/注0)少しおぼえているのは7年前の奈通子(今注)一番末の妹(/今注)がいなくなったとき白蓮院(今注)日蓮正宗の寺院(/今注)で題目をあげていたうしろすがたとそのときみた燭台にうつる自分のすがた。なにしろごく短い時間に自在にかけめぐって(回転して)最初のシーンにもどったときに意識をとりもどし(現実にもどって)助かったと思った。その間たえず助かると思ったり助けてくださいとお願いしていた。発作 AM 9 30(/注)

救急車で青戸病院に行きテンテキをする PM1:30 帰宅。

(注4)救急車で運ばれ病院についてベットに横になるまで意識は現実にもどっていたが、いままであったことがあまりにも不思議で自分は死んでほんとうに助かったんだろうか、ほんとうにいまおれは現実に生きているんだろうかと、いろいろ考えをめぐらせていた。家からタンカで運ばれるときも、救急車の中でも病院のベットでも横になったまま、目だけはあたりをみていたがそれもうつろでいままであったことをいちいち再認識していた。ベットでテンテキをうけているうちにだんだんと自分が生きているんだということを自覚しだしてソセイのカンゲキと不思議な体験のカンゲキとがいりまじって、これをそばでカンビョウしてくれいるおふくろに”おれ生きかえったんだよ”といって話しても、おふくろは悪い夢でもみたんだろうというような顔をして信用してくれない。ただおふくろのおかげで助かったと思う。おふくろが信心を20数年間していてくれたおかげで、また私を小学生のころにゴジュカイ(今注)護受会、本尊受持の入信式(/今注)につれていってくれたおかげで助かったと思う。それでおふくろがいってしまうとまた死んでしまうじゃないかと、おふくろの手をきつくにぎっていた。”おれはほんとに生き返ったんだよ。すごい体験をしたんだから。”とおふくろにいってもただ笑っているだけだった。おふくろの右あごには私のかんだあとが青くあざになっていた。”ずっと題目をあげていたんだ”私は感激のあまり涙がながれるのをおさえながら静かにいった。私はまだ”助かって”から手、足を動かしていなかった。運ばれる途中でもテンテキをうけている最中でもじっとしていた。私はほんとに現実にもどったのか(注)それとも回転の中なのか(/注)手を動かしてみた。まず左の指をそれからうでをおもむろにあげてみて左側にあるカベをたたいてみた。”ああやっぱり生きているんだ”カベの冷たさと、たたいてみたときの抵抗感でやっとどうやら現実に生きていることを確認できた。でもほんとに死にそうになったんだろうか。ただの夢みたいなものではないだろうか。そういう考えも出てきたが、しかしあの”ホッサ”中の体験、回転して・るあの現象、”死ぬときはソウマトウのように過去を思いだす”といういいつたえ、なんかを考えるとどうしてもただの夢だとは思えない。(注)このことは回転中に思ったので一そう不安になった。このまま回転してゆけば死んでしまうんじゃないかと(/注)事実、私は回転中、このままでは死んでしまうと思いつめたしもう題目しかないと一生懸命に臨終の正念でただただ助けてくださいと理論もへったくりもない一念でいのっていた。やはりあのまま回転が進んでいったら、あの助かるシーンがなかったら、死んでしまっていたまもしれない。(でももう一つ別に思うところがある。そのときもうすでに私は死んでいたんじゃないかと。別の世間に助かってでてきたんじゃないかと。回転中に私が死んでふとんに横になって、救急車の人が何をのませたんだとたずねるシーンを見たような気もするし、もうだめかとさびしく感じるときがあった。)途中何度か助からないんじゃないかと思ったが、そのたびに”絶体に助かるんだ。最初のシーン(注ア)助かるシーンというのは、あおむけになって手足をばたばたたたみにうちつけて、助かった、助かった、と何度も叫びながらおきあがり、うれしさのあまりそばにいるおふくろにしがみついておふくろの右あごをかむ、というシーン(/注ア)で助かるといったし、この回転で必ずあの最初のシーンが出てきて助かるんだ”と思ってひたすら題目をあげていた。そうして・あの助かるシーンがだんだん近づいてくるのがわかる。だんだん近づいてくる もうすぐだ もうすぐで助かると思っているうちうちに 手、足をばたばたさせて たたみにうちつける感ショクが現実のものとなって、”助かった、助かった”となんども叫びながら  いきおいでおきあがり うれしさのあまり おふくろにだきついておふくろの右あごをかんでしまう。まったく回転中に感じたというよりは見たシーンと同じで 私は現実にもどった。(/注4)

帰ってから体験のことをずーと考えていた。

PM 7 00 夕食

PM 8 00 夜の勤行を形式的にやる。(自分の心に真剣さがたりないのがわかっていた)

 30 兄を訪ねた男子部の2人が一緒に勤行にくわわってくれる。

 9 00 大島の噴火のビデオをみてからみそ汁をのむ。(上にゆく)

(下から)

(今注)升目作文用紙の裏表に、細かい字でびっしりと注釈、挿入とともにランダムに書いてあるのでこういう記述がある。上の文の、ここから↓、から(上にゆく)、までは、横長用紙の左中ごろから書きはじめ用紙の左下まで、(下から)は用紙の左上に書いてあり、そこから11/25日分がはじまる。(/今注)

11/25
AM 12 00 薬と何も食べていないことが発作の原因だと思い食事をとることにして とった。すこし眠た。

AM 1 30 手が白く脈がほとんどわからない程度だったので 自分は死んでいるんじゃないかと不安になる
(注)死んでいないのなら大変な低血圧状態だったにちがいない(/注)

AM 2 10 不安になったので題目をあげに下におりて、仏壇の前にすわる。あとはわからない。

発作 (わかったわかった、信じた信じた。何か確信のもてることを体験して しんから信じたといいきったときに発作がとれて意識が現実にもどった AM:300

(注1)発作の間に体験したんだと思う。例の回転があって その一つ一つの場面がこの宗教(この世界の法則?)の正しさを確信させて、そのたびごとに ”そうなのか” ”そうなのか” と口づさんでいた。それはほんとにすばらしい体験だったが、しかし残念なことに その確信をしているあいだ中、今 自分になされていることは、きっと忘れてしまうだろうという思いが絶えずあって、その通りに現実にもどってみると、すごい体験をしたという感じだけがのこって 内容はほとんど思い出せなかった。これは、3つの発作(今注)後にもう一回ある(/今注)のときも同様だった。信じなければ駄目なんだと思い 現実にもどるとき、大きな声で信じたといいきれば 助かるという思いが 何かほかの力にさそわれているような感じでいたので そのとき ほんとうに シンからこの宗教の正しさ(世界を成り立たせている法則)がわかった(注)その時はわかったということで、今は忘れてしまっている(/注)ので、また シンから信じられると思ったので 大きな声で ”わかった、わかった、信じた、信じた” と言いきったときに、現実にもどった。(というより死からよみがえった感じ)

(注イ)わかった、わかった、わかった、信じた、信じた、信じた、・・・と大声で早口でいいながら頭を前後にふって現実にもどった。そのとき兄きが私の顔を平手でたたいたと思う。また信じるといいきる前に私の疑いをすみずみまで回転がつぎつぎと晴してゆく。そのたびに ”そうだったのか そういうことだったのか” としきりにくり返していた。このことは私のうわごととしておふくろや兄が聞いている。しかし どういう内容の回転だったかおもいだせない(/注イ)


すこしでも疑いがあると、その疑いをはらすように場面がかわって 納得する。何回かあったけれども 私の場合はだいぶそれが多かったようだ。ずいぶん疑いがつよかった。(注)底の底でうたがっている自分を発見して情なくなった。(/注)(/注1)



(2012.07.26)
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